「平和は愛ある共生への努力」

日本友和会理事長      
田中 良子(たなか よしこ)

 最近、平和活動のやり方について考えさせられています。特に非暴力で平和を作り出すには、暴力はいけない、暴力は悪いと言うことでは暴力は収まらないからです。
 暴力を振るわざるを得ない、その問題を解決しようという合意をまずとりつける努力がなされねばならないでしょう。悪いことを止めるように言うだけでなく、なぜ暴力を振うのかを聴くこと、その立場から理解しようと努めること、そういう努力なしでは平和はつくり出せないと思うのです。戦争でも紛争でも、原因や問題点はなぜか明確に報道されないことが多いのです。その上ただ止めるようにという声だけが声高に叫ばれ続けます。
 「休戦」ということはあり得るのですから、とにかく期限付きでも戦闘を中止し、双方それぞれからその言い分を存分に聴き、話したいだけ話すのをひたすらに聴き、それぞれの立場から理解することに努める「場」を設ける必要があると思います。平和は、正義を明らかにすることではなく、殺し合い、破壊し合うことを止めて、問題点を話し合い、譲り合うことで、共に生きていける道をつくることをめざすのです。国連は本来、そのためのものであるはずなのですが、国の権限に不公平があるので、残念ながら役に立てないようです。NGOの運動の中からこうした「場」がつくり出せたらと期待します。
 先日、テレビでドゴン族の人々のことが放映されていました。未開の人と言うにはあまりに人間として立派な生き方を今日まで生き続けているのに感動しました。彼らの一番大事な建物は、人が立っていられない天井の低い小屋でした。そこで人々は大事なことを相談したり、争いを解決するのだそうです。興奮して立ち上がれば頭をぶつけてしまうのです。つまり冷静に話し合い相談をするための場所なのです。裸で狩りをし、樹木の家に暮らしているこの人々の、人と人との関わり方には、何とすばらしい知恵と心が活かされていることでしょう。
 文明・文化・科学技術と私たちの生活は飛躍的に便利で豊富になっています。しかし、利益追求が争いや格差をつくり、やさしい心が互いに見えにくくなってしまっています。平和をつくる努力も、もう一度自分たちの暮らしの足元にしっかりと立って、出直してみる必要があるのではと思います。
 現実の世の中で私たちは、宗教も人種も主義も仕事も異なる人々が一緒に暮らしています。そこで争いが起こるとしたら、不平等、差別、抑圧、生存権をおびやかされる等の原因があるのがわかります。どちらが正しいとかではなく、共に生きていけるよう解決しなくてはなりません。平和をつくる努力とはそういう日常の暮らしの中で、人が一緒に生きていけるようにすることなのだと思います。日々の暮らしの中での実践が平和をつくり出す実力となるのだと思います。そして自分だけ、自分の国だけの利益追求でなく、この地球全体のために生きる若い人々が、伸び育っていく健全な教育を大事にして行かねばと思います。




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