クリスマスの黙想−平和の君イエス・キリストの誕生−


日本キリスト改革派新座志木教会牧師
弓矢健児(ゆみや けんじ)


 今から2千年前、ユダヤのベツレヘムで一人の男の子がお生まれになりました。そのお方こそが平和の君イエス・キリストです。

 神はこの世界とすべての命を創造なさいました。中でも、人間を神の似姿に創造し(創世記1:26)、人間に特別な使命をお与えになりました。それは神がお造りになった、この世界とすべての生き物の命を守り、愛するという大切な使命です。しかし、人間は神に背きを犯しました。それ以後、人間は神から離れ、わがままで高慢な心を持ち、いつも強い者が弱い者を虐げてきました。人間同士が憎み合い殺し合い、戦争をして、神の創造なさった命を奪ってきました。今この時も、わたしたちはそういう悲しい出来事が日本の中でも、またイラクやアフガニスタン、パレスチナを初め、世界のあちこちで起こっていることを知っています。

 では一体どうしたら、人間はそうした憎しみや争い、戦争の現実から自由になり、被造物の命を守り、平和に生きることができるようになるのでしょうか。実は、そのために神は御自分の独り子を世に遣わしてくださいました。それがイエス・キリストです。それがクリスマスの出来事です。イエス・キリストは、わたしたちを愛し、罪と悲惨、憎しみと戦争の中でもがき苦しんでいる、わたしたちに平和を与えるために生まれてくださいました。そのためにイエスは、ご自分の命を自分のためではなく、十字架の死に至るまで、わたしたちのために献げてくださったのです。それによって人間は罪が赦され、イエス・キリストの命にあずかる者とされたのです。ここにわたしたちの救いがあります。ここに真の平和があります。まさに、パウロが告白しているように、神は御子の「十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられた」(コロサイ1:20)のです。

 したがって、わたしたちの命は自分一人の命ではありません。イエス・キリストにあって、すべての命に繋がっています。イエス・キリストの愛を通して、わたしたちはそのことを知らされます。しかし、知るだけではありません。わたしたちもまた、イエスの愛に促されて、他者の命と連帯して生きる者とされるのです。
 争いや戦争が日々起こっている世界の現実の中で、剣を捨てて生きることは確かに勇気がいることです。それは苦難を覚悟しなければならない道でもあります。しかし、神は剣の力に頼るのではなく、わたしたちがイエス・キリストと共に、他者の命に連帯して生きる時、必ずそこに平和を実現させてくださいます。
 「このみどりごこそ平和の君なのであり、このみどりごがおられるところでは平和が支配するのです」(D・ボンヘッファー『クリスマスの奇蹟』)





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