平和を平和につくる−もうひとつの試み


国際基督教大学教会教会員・「日の丸・君が代」予防訴訟原告
中川春野(なかがわ はるの)


 国連が定めた国際平和デーの9月21日からの5日間、「第3回平和省地球会議(The Third Global Summit for Ministry and Department of Peace)」に出席するため、26カ国から約60名が、千葉県木更津市に集まった。2005年の英国、2006年のカナダに続く日本での開催は、「平和省プロジェクトJUMP」が受け入れ団体となって実現した。参加者の共通の願いは、創造的で持続的な平和が実現することであり、その手段として、各政府に「平和省」を創設することを目指している。参加国・参加者の立場は様々で、ソロモン諸島やルワンダのように、規模の大小はあっても既に「平和省」が機能を始めている国もあれば、個人やNGOの立場で参加しようとしたが、日本政府がビザを出さなかったため、ついに参加できなかったフィリピンやイラク、西アフリカ諸国の人たちもいる。会議では、各国の状況を分かち合うと共に、草の根活動の組織、若者層の取り込み、平和的コミュニケーション、平和構築とガンジーの非暴力、平和賞の責任と活動についての実際的なトレーニングが行われた。専従スタッフもいない日本の市民グループがこの規模の国際会議をホストできたことも驚きだが、特に第三世界からの参加者を招くことに心を砕いた今回の会議の成果は、実に意義深いと思う。たとえば、ルワンダ、ウガンダ、南アフリカ、セネガルの代表がアフリカ平和省同盟を結成し、アフリカ各国で「平和の文化」を作り出す運動と手をつなぎ、暴力のないアフリカの実現にむけて互いに支援することを表明した。さらに、会議参加者の一部が京都・広島・長崎・沖縄まで足を運び、成果を報告しながら日本の若者と交流する機会を持ち、若者の平和運動の世界的な広がりを確認した。
 大国による横暴とそれに追従し右傾化を止められない日本の現状を考えると、「平和の文化」を広める活動、しかも政府組織に責任を負わせようなどとは、なんと悠長なお門違いな、と感じられる向きもあるかもしれない。私がこの活動に大きな希望を見出すのは、その運動自体が平和の組織・平和の言葉、平和の力になろうとしている点だ。「平和という正義を掲げる者が、戦争や暴力・抑圧という不義を行う者を打ち負かすと、平和は訪れるのだろうか。」という私の疑問は、教育行政の横暴に黙っていられずに訴訟の原告になり、昨年10月一審で全面勝訴したにも拘わらず何も変わらない現実を経て、ますます大きくなった。勝ち負けや誰が正しく誰が間違っている、というゲームから抜け出さない限り、私の欲しいお互いが理解しあい、尊敬しあう平和な世界は来ないのではないか。平和省運動が「平和の言葉」として学んでいるマーシャル・ローゼンバーグ博士のNon Communication(非暴力コミュニケーション)は、善悪の二元論を超えて、どんな相手(或いは自分)とも共感を持って理解しあう方法を学習可能なスキルとして提示している。作りたい平和に、まず自分がなってみるのはどうだろうか。





HOME