『平和を実現する力』


財団法人アジア保健研修財団 理事長
川原啓美(かわはら ひろみ)


 平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。
                    マタイによる福音書5章9節(新共同訳)



 21世紀は平和の世紀となるはずであった。20世紀が暴力の世紀と呼ばれた時、人々は「21世紀こそは」と平和への強い希望を持った。しかし現実はどうだっただろうか。
 9・11テロに始まり、アフガニスタン、イスラエル、そして終わりの見えないイラク紛争などにより、地球上のどこかで毎日人命が奪われている。世紀が変わっても全く変わることのない現実である。地球上のほとんどの人は平和主義者であろう。少なくとも自分を相対化できる人は、他者を攻撃し破滅させることは出来ない。現在、連日数名から数十名の人々が生命を奪われているイラク戦争でも「世界の民主主義を守るため」とか、「アラーの大義のために」という絶対化のかげにかくれるからこそ出来るのではないかと思う。
 わたしたちが1980年から始めているアジア保健研修所(Asian Health Institute - AHI)というNGOがある。聖書の教える「人間みな兄弟」というモットーの下に活動しているが、具体的にはアジアの人々の生活を守るため、草の根の保健開発活動に従事するワーカーを育てるための研修事業であり、日本の民間の個人や団体の善意によって支えられている。これまで26年間に約600名のワーカーを日本に招いた。
 この活動は、最初はほとんど民間が中心になり、政府関係の協力活動とは一線を画していた。しかし最近では互いに協力できる所では力を貸し合って仕事を進める。ここでは国際協力機構(JICA)の依頼を受け、フィリピン南部のミンダナオ島西部にあるイスラム自治区での経験を伝える。
 イスラム自治区は治安が悪く、外国人には必ずフィリピン国軍の兵士が同行し護衛することになっている。ところがある町へ入ると、兵士たちは「ここでは自分たちは要らない」と言い、どこかへ行ってしまった。不思議に思ったスタッフがその町のAHI元研修生に尋ね、驚くべきことがわかった。そこでも以前は他の町と同じように、カトリック教徒とイスラム教徒が激しく争い、血を見ることもしばしばであった。そこで町の中に平和委員会が作られ、1人の人を委員長に選んだ。アントンさんというカトリック教徒であったが心が広くまた勇敢な人で、争いが起こると必ずその場へ行き、イスラム教徒の人たちにも公平に意見を言った。どうしても内紛が収まらないと「それなら私を殺しなさい」とまで言うので、争いがやんでしまうこともしばしばだったと言う。
 これは50年近くも前のことであるが、それ以来アントンさんは町の人に尊敬されて、今も存命である。そこではカトリック教徒とイスラム教徒が共に住み、子どもたちは同じ学校へ通い、死ねば1つの共同墓地に葬られる。他では信じられないようなことである。
 ここで私が学んだことは、「平和を守るため」にも命がけの意気込みガ必要だということであった。そのような心が広がってゆく時に、平和は少しずつ実現するのではなかろうか。





HOME