色とりどりの蝶は風に乗って
三村 修 
富坂キリスト教センター総主事・牧師 
  新潟県の佐渡島に「佐渡扉の会」という市民グループがあった。私もその一人だった。差別とは、差別される側の問題ではなく、差別する側の問題である。だからこそ、心の扉を開こう――それがこの会の趣旨だった。
 2015年10月、佐渡扉の会は韓国から三陟(サンチョク)舞踊団を迎え、「佐渡鉱山労働者を追悼する集い」を開催した。ポスターを貼れたのは本番のわずか二週間前。ところが誰かが一枚を破り、行政に届けたという。「みんなが金山の世界遺産登録を目指しているのに、それを妨げる人たちがいる」という主張だ。
 その後、「佐渡扉の会」は解散したが、追悼行事は続いている。毎年秋、金山近くの総源寺の鉱山労働者供養塔に花を手向け、追悼の言葉を朗読する。参加者は十数人ほどだが「佐渡金山を真の意味で人類共通の遺産とするために、負の歴史も含めて事実を明らかにしていこう」と確かめ合う。
 2024年、佐渡金銀山は世界文化遺産に登録された。解説は不十分とはいえ、博物館に朝鮮人労働者の展示が設けられ、宿舎跡には案内板が立ち、それらを巡る地図も配布されている。
 私はこの4月、東京に引っ越した。9月6日、荒川河川敷で行われた関東大震災102周年・韓国・朝鮮人犠牲者追悼式に出かけた。参加者は七百人を超え、区議や国会議員の姿もあり、その規模と熱気に圧倒された。
 挨拶、追悼の歌、カヤグムの演奏が続き、やがてプンムルの太鼓の響きとともに、人と音が渦を巻いた。
 とりわけ印象に残ったのは、若者たちによる「ペンニョン」の活動報告だった。彼らは朝鮮人虐殺の証言を集め、現場に立って朗読するという活動を続けている。
 かつて「天皇に忠誠を誓う人」が日本人だったのかもしれない。しかし、これからは、負の歴史も含めて引き受けて生きる人こそ、新しい日本人ではないか。
 2015年の佐渡での最初の追悼集会に東京から参加してくださった「ほうせんかの家」の慎民子(シン・ミンジャ)さんに久しぶりに再会した。慎民子さんに誘われて、私は有志たちとともに木根川橋の上から蝶の形に切り抜かれた色とりどりのオブラートを荒川にまいた。韓国では、蝶は死者と生者をつなぐ伝言役だという。
 私は、死者たちの記憶を継承していけるだろうか――。
 風にのって舞い上がる蝶たちが、私の手から離れていくのを、しばらく見つめていた。
                         (みむら おさむ)