信教の自由を考えた日
野副 達司
JFOR日本友和会 
 日本友和会の会員が所属する鶴川北教会で行われた「2.11 信教の自由を考える日」集会は、今年も主日礼拝後に35人ほどが参集し、政治権力による池田政一牧師への宗教弾圧の事実を精細に書き留めた『紅葉の影に ある牧師の戦時下の軌跡』(石浜みかる著、1999年、日本基督教団出版局)に史料を提供したむすめの土岐祐子さん(父親の逮捕当時5歳だった)の話に耳を傾けた。

 政府が宗教弾圧に活用した武器が、1925(大正14)年4月21日に公布した治安維持法だった。「第一條 國體ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織叉ハ情ヲ知リテ之ニ加人シル者ハ十年以下ノ懲役叉ハ禁錮ニ處ス」、天皇制および私有財産=資本主義を否定する共産主義の台頭を警戒した法律だった。
 1928(昭和3)年2月、普通選挙法で最初の総選挙が行われた。政府の厳しい選挙干渉にも関わらず、無産政党員は8名が当選、日本労農党の候補者には共産党員の山本宣治、水谷長三郎の2人が当選をかちとった。その直後の3月15日未明、天皇制政府は、内務省、検事局や警察の総力をあげて、日本共産党員、支持者をいっせいに検挙した( 3.15事件)。
 1940(昭和15)年4月に宗教団体法施行、半年後の10月17日の神嘗祭を卜して、青山学院に2万人が集まり神武天皇即位「皇紀二千六百年奉祝全国基督教徒大会」を「日本のプロテスタント系キリスト教諸教派」協同で行い「吾等は全基督教会の合同の完成を期す」と宣言した。1941(昭和16)年5月15日、治安維持法は国体護持・刑罰の強化へと全面大改訂・施行された。第7条として新しい文言「国体を否定し又は神宮若は皇室の尊厳を冒瀆すべき事項を流布することを目的として、結社を組織したる者又は結社の役員其の他指導者たる任務に従事している者は、無期又は四年以上の懲役に処し情を知りて結社に加入している者、又は結社の目的遂行のためにする行為を成したる者は、一年以上の有期懲役に処す」を加え、以後、思想・宗教弾圧の主要な武器になった。皇紀二千六百年基督教徒大会での決議に基づき日本のプロテスタント系キリスト教諸教派は合同し、『日本基督教団』を結成、その創立総会を1941(昭和16)年6月24日開催した。この頃には教会でも国民儀礼は、すでに特別のことではなかった。教団創立の半年後の1941(昭和16)年12月8日 に太平洋戦争に突入する。
「終戦」の1945(昭和20)年10月4日、GHQ指令「政治的民事的及宗教的自由に対する制限の撒廃に関する覚書」いわゆる人権指令/自由指令により治安維持法は関係法令とともに廃止になったが、それまでの20年間、国民の思想・信条・信教の自由を束縛し魂を従属させた「この法律によって逮捕された人は、数十万人。千人以上が、拷問や虐殺・病気などで命を落とした…」ひとりひとりいのちを奪ったのはだれか。
 一時間半の講演と一時間超の質疑応答はあっという間に終わった。来年は日本友和会(Fellowship of Reconciliation - Japan )が発足して100周年を迎える。その歩みは昭和史そのものの歩みだった。 
                    (のぞえ たつし)