鈴木伶子さんの戦責と愛敵
相賀 昇
[公財]早稲田奉仕園常任理事、田園都筑教会牧師 
 私たちの教会では毎年8月の「平和聖日」礼拝で「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」を唱和します。この「戦責告白」と共に想い起こすのは、鈴木伶子さん(1938-2021)という方です。鈴木伶子さんは、日本YWCA理事長、NCC議長、「平和を実現するキリスト者ネット」事務局代表などを歴任、平和運動の発展のために大きな貢献をされました。
 もう17年前の2007年でしたが、その頃私は富坂キリスト教センターの活動に関わっており、その年が「戦責告白」40周年にあたっていたこともあり、鈴木伶子さんのインタビュー記事をまとめる機会がありました。1960年、鈴木さんは世界学生キリスト者連盟の世界大会に参加、そこで韓国のキリスト者との出会いを通して日本が犯した戦争の罪について何も学んでいなかったことに気づかされ、日本人としての責任という問題に向き合うことになります。
 鈴木伶子さんは市民運動の集会でのキリスト者のあり方について次のように述べておられました。「私はそのような集会で、例えば『敵を愛せよ』といった聖書の言葉そのものを語ることがあります。別の言い方をするより、むしろダイレクトに聖書の言葉を語るときそれがひとの心に届くのではないでしょうか」と。また哲学者K・F・フォン・ヴァイツゼッカー(1912-2007)を引用してこう説かれました。「『敵を愛せよ』とは、『敵を理解するように努めること。それは、彼の状況に身を置き、彼の立場から世界を見、彼の関心や希望、彼の不安や傷ついた心を知るように努力することです』」
 イエス様は敵も味方も越えて祈る理由をこう言われました。「父は悪人の上にも善人の上にも太陽を輝かせ、正しい者の上にも正しくない者の上にも雨を降らせる」(マタイ5・45)。ここには人間の善悪や正しさという人間の相対的価値基準を越えた世界観があります。初期のキリスト者共同体は、それまでの人間社会が知らなかった「敵を愛する愛」、「善をもって悪に報いる愛」を実際に示して、古代社会の人々に強烈な印象を与え、その新しい生き方へと引きつけたのだと思います。
 鈴木伶子さんは若き日に戦争責任に目覚め、終生キリストの愛を証しする使命に生きてこられました。そのご生涯が今も私たちに平和を実現するものとして生きるよう力強く語りかけてくださっています。 
                     (あいが のぼる)