「主の平和を実現するために」 |
日本福音ルーテル教会牧師 滝田浩之 |
キリスト者平和ネットのホームページのプロフィールには、「主の平和を実現するために」というタイトルに続けて「すべての人の命はイエス・キリストが命をかけて愛して下さった、かけがえのないものです」とあります。そして最後の行では「共に福音に立ち、手と手を携え、祈りと言葉と行動で、「主の平和」を求め続ける仲間に加わってください」と呼びかけられています。 さて私は北海道札幌市の出身なのですが、色々とありまして大学は沖縄の大学に進学しました。そこで宜野湾セミナーハウスの夜間管理のアルバイトをしていたことから又吉京子さんにお世話になり、この会の平良愛香さんとも知り合う機会を与えられました。沖縄戦跡ツアーなどでは運転手のボランティアをしていました。その意味では平和活動の間近にいたということになります。 けれども私自身は大学を卒業して神学校に進み、按手礼を受けて以後、積極的な形で平和に関わる活動に参与したことがありません。ただ、ただ、目の前の託された教会の職務に集中してきました。その意味では、「キリスト者平和ネット」の会報の巻頭言を記す資格のないものと思っています。 しかし「すべての人の命はイエス・キリストが命をかけて愛して下さった、かけがえのないものです」という「キリスト者平和ネット」の設立理念は心に重く響きます。教会という小さな交わりにおいても、出会ってきた命のかけがいのなさに十分応えることができているかという点で、自らの無力さを経験しているからです。 今回の巻頭言執筆にあたり、ホームページにあるものをざっと読ませて頂きました。私のような者が驚かされたのは、具体的な活動の中にある方々も、これほどまでに「自らの無力さ」を感じておられるということにありました。そして、この「無力さ」は、私自身が相対している現実とも底流においてつながっているものだと感じました。 その時に「共に福音に立ち、手と手を携え、祈りと言葉と行動で、「主の平和」を求め続ける仲間に加わってください」という呼びかけは、私のような者にも諦めず手を差し出してくれる仲間がいることに気づかされました。まだ諦めていない仲間がいる。これほど大きな力があるでしょうか。今回、巻頭言を引き受けた私は一層諦めないで与えられた重たい大切な平和の課題を自らも担っていきたいと思います。その思いが新たな仲間を起こす手になることを信じて。 (たきた ひろゆき) |