恐れが大きな喜びに変わるとき
カンバーランド長老キリスト教会東小金井教会・牧師 関伸子
 すると、主の天使が現れ、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。私は、すべての民に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、産着にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見つける。これがあなたがたへのしるしである。              - ルカによる福音書2章9-12節
 福音書記者ルカはクリスマスの物語を皇帝アウグストゥスがローマ帝国内に居住している人々に住民登録を命じることから書き始めます。ローマ皇帝のこのような勅令は、これから登場する主イエスの生活を徐々に浮彫りにします。つまり、イエスは皇帝に対する納税に関して新たな視点を投じ、イエスご自身はこの世にあっても、ある意味で、別の王であり、最終的な審判者でもあるからです。
「恐れるな」(ルカ2:9)と主の天使が語り始めます。その内容は大きな喜びの出来事の宣言です。その後すぐ、ルカはここで何の前触れもなしに「羊飼いたち」を登場させます。羊飼いたちが現れるのはここだけであり、これ以降は出て来ません。この箇所の特別の主人公は羊飼いたちにほかなりません。
 この「羊飼い」についてある人の解説が参考になります。それによれば、ここで重要な役割を果たしている羊飼いを理解するためには、彼らの社会的地位にも注意を払わなければならないということです。農耕社会における羊飼いは、わずかな土地を所有していたものの、それだけでは家族の生活をささえ税負担をまかなっていくのに十分ではありませんでした。その結果、彼らは労働者として雇われ賃金を得ていました。彼らは小作農であり、権力や特権から遠い社会の底辺に位置していました。そのことを明らかにした上でこの注解者は、マリアの賛歌(ルカ1:52)で歌われたこと(「権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ」)が、「皇帝アウグストゥス」ならびに「総督キリニウス」と「羊飼いたち」との対比のなかで、すでに現実ものとなっていると見ています。
 天使は「救い主」「主メシア」としてのイエスの誕生を「民全体に与えられる大きな喜び」として告げました。神の言葉を預かっている天使は、まず最初に、社会的に疎外された羊飼いに現れ、羊飼いたちの「大きな恐れ」は「大きな喜び」にかわるのです。
 クリスマスの喜びは、いつも人として登録されることなく、寝る家もなく動物と共に過ごさなければならない羊飼いのような小さくされている人々にまず届けられることに大きな希望があります。なぜなら、私たちが住むこの世界は、今も、権力者たちが力を振るい、小さな者たちがますます小さくされているからです。
 新型コロナウイルス感染が拡大した2020年以降も、国際社会は、暴力によって思い通りにしようとする行為が横行しています。2020年6月30日、香港でイギリスからの返還後、一国二制度の崩壊に不安が高まった中、中国政府は、香港での反体制的な言動を取り締まる「国家安全維持法」を決定しました。国家による取り締まりが厳しくなった結果、多くの市民の命が奪われ、一国二制度は形骸化させられ、異論さえ許されないさらに息苦しい社会になりつつあると聞きます。
 2021年2月1日、ミャンマー国軍はクーデターによってミャンマー全土を掌握し、民主的に選ばれたアウン・サン・スー・チー国家顧問率いる政権を転覆しました。1年10か月経った現在も国軍による市民への残忍な行為が続いています。
 今年の2月24日、ロシアがウクライナに軍事侵攻を始め、ウクライナの大勢の市民が国外へ避難して家族が離散しており、ウラジーミル・プーチン大統領によるウクライナ軍事侵攻は止まることがないように思われます。
 また、この国においては、7月8日、安倍晋三元首相が参議院選挙のための街頭演説中に銃撃を受けて死去しました。そのことにより、「旧統一協会」と自民党の癒着が決定的に明らかになりました。「旧統一協会」の反社会的行為には反対しますが、銃撃という暴力的手段で人の命を奪うことには問題があります。米軍基地問題も、沖縄ばかりに米軍基地を押し付ける政府の権力の横暴としか言いようがありません。
 わたしたちは、変わらない現状を知らされると、祈りが神に聞かれていないのではないかという無力感におそわれることがあります。それはわたしたちが、意識するしないにかかわらず、いずれ物事はよくなるという期待を持って生きているからではないでしょうか。戦争、飢餓、貧困、抑圧、搾取などはやがて終わり、すべての人が一致協力して生きるようになるという期待があります。しかし、生きている間にその期待通りにならないと人はしばしば幻滅し、敗北感を味わいます。
 ところが、主イエスはこのような楽観的な見方をしておられません。イエスは、ご自身が愛しておられた都エルサレムの滅亡を見通されたばかりでなく、世に残酷さと暴力、争いが満ちることをも見通しておられました。
 信仰を持って歩む者たちは決してあきらめず、たとえ小さな声だとしても、この地に平和がもたらされるように、恐れず語り続けたいと思います。
 ルカ福音書を続けて読むと、天の大軍が現れ、天使と共に神を賛美してこう言います。「いと高き所には栄光、神にあれ 地には平和、御心に適う人にあれ」(ルカ2:14)。いと高き所とは、神の住む高い天のことであり、そこには神がいるだけでなく、無数の天使たちが神に仕えているため栄光に満ちています。しかし、今や神の子イエスがこの世に生まれて来たため、地でも神の栄光が輝き始めます。天使の告知を受けて天の大軍が神を賛美し、同じ賛美の言葉が、物語の終わりで羊飼いたちによってくり返されます。み子の誕生の喜びは「すべての民に与えられる」(ルカ2:10)。この平和(シャローム)は、地が神の支配のもとにあり、正義と救いが行われることにほかなりません。
 み子の誕生とともに、神の恵みと憐れみは、地に注がれました! 恐れが大きな喜びに変わる、天からの声はそういうのです。「今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった」。この混乱した世を救うためにこそ、幼な子として来てくださった。この方が、わたしたちのところにも立ち寄ってくださり、救いをもたらし、喜びを与えてくださる。このことに心から感謝して、主イエス・キリストのご降誕を祝いましょう。                             (せき のぶこ)