「恐れるな、私があなたと共にいる」
カンバーランド長老キリスト教会東小金井教会・牧師 関 伸子
 「恐れるな、私があなたと共にいる。/たじろくな、私があなたの神である。/私はあなたを奮い立たせ、助け/私の勝利の右手で支える。」イザヤ書41章10節(聖書協会共同訳)
 母がキリスト者であったため、子どもの頃、教会学校に通っていました。そこで、神様は小さな私たち一人ひとりを愛しておられると語られ、そのことを実感して育ちました。
聖書に「愛」は最も多く用いられている言葉ですけれども、それと同じように「恐れるな」という表現も多くあります。人生の後半、召命を受けて牧師となり、小さな教会の牧師として3年目に新型コロナ・ウイルス感染が拡大して、礼拝を続けることにも困難を覚える時期がありました。コロナという目に見えないウイルスでいつ命を奪われるかわからないことは確かに怖いことです。しかし、私たちキリスト者が最も畏れるべきは神であり、聖書の御言葉に覆われて、このような時こそ、神の御心を祈り求め、主イエス・キリストに従って歩みたいと思います。その意味で、「恐れるな、私があなたと共にいる」というイザヤ書の御言葉は今の自分を支える言葉となっています。私たちがすぐ恐れてしまう性質を神様はご存知で、繰り返し「恐れるな」と語りかけてくださっているのだと思います。
 2月24日、ロシアによるウクライナ侵攻が始まり、毎日テレビニュースで見る女性たちが幼い子どもたちを連れて避難する姿、死体に心を痛め、いたたまれなくなります。
最近、『戦争は女の顔をしていない』と題したドキュメンタリー文学でノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチとの対話『「ちいさき人々」の声を求めて』を読み、『「小さな人」自身が自らの「小さな物語」について語っていることが、同時に「大きな物語」にも触れることになる』(9頁)と書いていることに心惹かれました。
空の星を見つめ天に思いをはせると、私たちがいかに小さく、取るに足りないものであるかと感じます。そして、私たちの行いや言葉、思いなど意味がないと考えてしまいます。けれども、私たちの内なるいのちが神の愛に照らされていることに思いを馳せるとき、私たちの存在は大きく意味深いものとなり、私たちの言葉、行い、思いのすべてがとても重要なものに見えてきます。「恐れるな、私があなたと共にいる」の御言葉に支えられて、この時、与えられている小さなことの一つひとつに誠実でありたいと思います。
                      (せき のぶこ)