「和解をめぐる欧州と北東アジア」
岡田 仁  富坂キリスト教センター総主事 
 先日、尊敬する知人の紹介で、今年9月にドイツのシュタインマイヤー大統領が行った、「第二次世界大戦開始80周年記念式典」(ナチス・ドイツのポーランド攻撃を忘れない)での演説を感銘深く読んだ。彼は、ナチスが最初に侵攻したポーランドの町ヴィエルン、さらにワルシャワにおいて、ドイツ人として、またヨーロッパ人としての責任について、また、過去の謝罪と共に将来の和解と共生の可能性について明確に言及する。
 <ポーランドにおいて人道的な罪を犯したのはドイツ人でした。(略)ドイツ大統領として、私はあなたがたに保証します。私たちは忘れることなく、望み、想起します。歴史が与える自らの責任を私たちは受けとめます。私はヴィエルン攻撃の犠牲者たちに、またドイツ専制政治によるポーランドの犠牲者たちに許しを請います。(略)私たちドイツ人は、人種的超越の妄想と全体主義と専制に対する抵抗の精神、自由と民主主義と権利の精神を守ります。そしてこの和解の道を維持し、ポーランドのよき隣人として共に働き続けたいのです。・・・>(ヴィエルン演説・私訳)
 ナチスがポーランドにもたらした甚大な被害と苦しみは取り返しのつかないものである。にもかかわらず、ポーランドはこのドイツ側の謝罪と和解の求めに対し、少なからず理解を示し、手を差し伸べてくれた。だから自分はこの場所に立つことが許されているのだ、とドイツ大統領は感謝の辞を述べている。和解はここから始まるのだと思う。
 一方、北東アジアの現在に目を転じてみるとどうか。韓日関係は悪化の一途を辿り、国内においては戦争・戦後責任をうやむやにしたまま天皇即位儀式が行われている。富坂センターのすぐ近くにある在日本韓国YMCAでは、今からちょうど100年前に朝鮮人留学生たちによる2.8独立宣言が発表された。これは自国中心的な観点からではなく、どこまでも東洋平和の見地から、植民地支配という非人間的不正義と暴挙への猛省を日本に促しつつ、アジア人として果たすべき責任と使命のために協働しようではないかという内容の声明書である。 聖書の中心的メッセージである和解は、神から与えられたイエス・キリストの現実であり、同時にキリスト者全てに委ねられた重要な務めの一つである。 この和解の祝福の下に共に生きるようにと私たちは招かれているのだ。
 過去は変えられない。しかし未来は変えることができる。北東アジアにおいて求められているのは、歴史認識の共有をふまえた上での対話と交流であろう。ドイツ大統領の演説から私たちが学ぶべき点は多い。
                        (おかだ ひとし)