むかし、鉱山で働く労働者が地下深くに降ろされ働くとき、カナリヤの入った鳥かごを抱えて入ったといいます。地下深くの労働現場が酸欠状態の危険を、人間より先に弱り、死んでしまう、脆弱なカナリヤが告げ知らせてくれるからです。
日本の政治における民主主義と平和の酸欠化状態が始まって四半世紀が過ぎたと考えます。振返れば、1992年1月に、吉見義明教授(中央大学)によって旧日本軍関与を実証する慰安婦資料が防衛庁図書館から発見され、93年8月にそのことを謝罪する「河野談話」が、そして95年8月に日本の侵略戦争を謝罪する「村山総理談話」がようやく発表されたころから、わたしは、現代日本の政治のヘゲモニーを握る自民党極右勢力と、民間レベル、いわゆる下からの国粋運動(1997年、「日本会議」結成)によって日本の民主主義と平和を酸欠化させる潮流が生みだされてきたと考えます。 大変皮肉にも見える歴史ですが、この1990年代とは、1971年の、ある在日韓国人青年に対する日立就職差別裁判闘争に象徴される在日コリアンの反差別人権運動の胎動、そして80年代の指紋押捺・外登法改正運動への広がり、その流れの中から90年代の多文化・他民族共生の人権運動へと進んでいく流れに抗うように、この国の「戦後」体制への反発と「戦前」の日本のあるべき「国のかたち」(「国体」?)への回帰を志向する勢力が目を覚まし始めた時期でもあったのです。その潮流は、紆余曲折を経て合流し、この25年の歳月の暁に、今この国の中央と地方においてヘゲモニーを広げてきているのです。
「特別永住者」(「在特会」の標的ともなる)とほぼ重なる在日コリアンは統計数字上、元法務省入管高官の発言通り、21世紀の半ばまでにこの国から消えると予言されましたが、今や、この国の政治との関係で、平和の酸欠状態をはかるカナリヤの役割を担うのでは、と考えます。この国を今強引に動かそうとする執権者たちの度し難い歴史修正主義の思考と体質は、本人たちが自覚するしないにかかわらず、ヘイトスピーチに象徴される民族差別のレイシズムの膿をうませながら、共生平和の酸欠状態を深めているのです。
しかし、先日、4月8日、(2015年11月の『マイノリティ問題と宣教』第3回国際会議の結実として)在日大韓基督教会と日本の諸教団・キリスト教組織のエキュメニカルな合同により『マイノリティ宣教センター』が誕生したごとく、共生平和のカナリヤとして目覚めるわたしたちは、この政治的酸欠状態の中で息絶えるどころか、よりいっそう大きな声で和解と共生平和をこの国と世界に向かって叫ぶようになるのです。なぜなら、主の聖霊がこの国の地の底深くにまで吹き注がれ、わたしたちを目覚めさせ、励まし、遣わしてくださるからです。
(キム・ソンジェ)
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