昨年は障害者にとって大きな喜びと同時に、深い悲しみに突き落とされた一年でした。4月に障害者差別解消法が施行され、6月には改正障害者総合支援法も公布されて、障害者の生活を支える法整備が整えられました。しかし、直後の7月26日、神奈川県相模原市の「津久井やまゆり園」で殺傷事件が発生し、19人の障害者が殺害され、27人が重軽傷を負うという戦後最大の被害者数を出す悲惨な事件となりました。その後、視覚障害者が駅で転落する事故も相次いで起こりました。これらの事件の背景には、弱者を社会的に排除する「優生思想」が指摘されます。
相模原の事件の加害者が衆院議長にあてた手紙には、「障害者は生きていても仕方がない」「安楽死させた方がいい」と記されています。これは、ナチス政権下でくり広げられた「価値なき生命の抹殺作戦」(T4作戦)と重なります。「価値なき生命」とは働けない者、兵隊になれない者という意味で、対象は知的障害者と精神障害者が中心でしたが、優勢思想の考え方に根ざしています。「T4作戦」は1939年から始められ、約20万人の障害者がガス室などで虐殺され、この手法はその後ユダヤ人の虐殺(ホロコースト)へと受け継がれました。相模原殺傷事件の加害者は、このような優生思想に駆り立てられて犯行に及んだのではないかと推察されます。そして残念ながら、このような考え方は、今の社会全体をおおっているのではないでしょうか。それは、政治や行政の要職にある人が平気で障害者への差別を語る事例が繰り返されることにも明らかと言えます。
聖書では、神が私たち人間を「神のかたち」に似せて造られたと教えています(創世記1章26、27節)。「神のかたち」とは、私たちが交わりに生きる存在であることを意味します。つまり、神との人格的な交わりとともに、他者との人格的な交わりに生きる存在なのです。そこには、「障害者」と「非障害者」の区別はありません。むしろ、すべての人が神のかけがえのない家族の一員なのです。このような聖書の人間観の視点から考えると、私たちを神と他者との交わりから断絶させ、排除するものこそ罪の本質であり、優勢思想の根本にある問題です。それは、個人の敵意や憎しみの場合もあれば、生産性や効率を追求する巨大な社会構造や社会システムの場合もあります。このような問題を克服することは決して容易なことではありません。しかし、キリストの福音の恵みと力を信じて、あきらめることなく、共に生きる道を祈り求めていきたいと思います。
(たなか ふみひろ)
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