私たちは一般的に何かの型に分類することを好む。そしてまた、社会で起こっていることを何らかの構図に押し込んで納得したくなる。たとえば各地での紛争を宗教間の対立、民族間の対立といったように。
アジア保健研修所(AHI)では、アジア各国の農村部で住民の健康や生活改善のために働く現地のNGOスタッフを主対象に、5週間の合宿形式のリーダーシップ育成研修を行っている。その修了後も彼らとのつながりを継続し、彼らの活動を支援している。
その一つ、3年前の研修生が中心となり行う現地での若手NGOスタッフ向けの研修会に出席するため、3月終わりから職員がパキスタンに出張した。出発の直前、自爆テロが発生、70名以上の死者が出たというニュースがはいってきた。不安を抱え発った翌日の夜、彼女から現地の様子を伝えるメールがはいってきた。
『研修会は予定どおり開催する方向ですすめています。事件当日は、イースターを祝うキリスト教徒が集まっていたため、被害者の多くはキリスト教徒ではありますが、そうでない人も巻き込まれています。キリスト教徒を狙ったという声明も出されていますが、こちらの人たちは落ち着いています。今だからこそ、平和・宗教間対話の活動をしっかり取り組まなければと、たんたんと静かな感じです。
不特定多数の人が集まるイベントの禁止など、行政も必死で治安維持に努めています。そうとはいえ、70人が亡くなり、300人も負傷していますから、みな親戚や近所の人が亡くなったりしています。研修生が代表を務める団体の一人のスタッフはお葬式で不在ですし、親戚が入院しているという人もいます。こちらでの滞在経験が長い日本人の方から「事件は許しがたい行為ですが、冷静な対応で宗教問題にしないことも肝要かと思います。事件を宗教問題にすることこそ、実行した連中の思うツボかと思います」と助言をもらいました。』
渦中にあって、それでも平和を求めて活動する人たちは、作られ固定化される分断の中でそれに加担してしまう誘惑と闘っているに違いない。私たちはその葛藤を知るところから始めたい。
(はやし かぐみ)
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