3月に来日したドイツのメルケル首相の演説が識者に深い感銘を与えている。ちょうどドイツのアーノルズハインで行われた「核のエネルギーから持続可能なエネルギーへの転換をどのように図るか、宗教者に何ができるか」という主題で行われた国際会議から帰国したところだった。フクシマを契機にしてグローバルな視点から核エネルギーに依存する現代の生活のあり方に対する根源的な問いにどのように誠実に答えるか、また、核の傘に守られているような不安定な平和の状況から現代世界を解放し真の平和に導くための国籍を超え宗教の枠を超えたネットワークを構築したいとの会議での真剣で熱い協議の空気と、原発事故処理をめぐって情報の操作と隠蔽に明け暮れ、目先の経済だけを考え、集団的自衛権を拡大して戦争のできる国にしようとしている不正義に満ちた日本の現状を思うにつけ、安倍首相に率いられた人々の志のあまりの低さに慨嘆させられている。
メルケル首相はその演説の中で、今年が世界大戦終結後70年に当たることに言及しながら、敗戦の中から発展をした両国の目指すべき平和構築のあり方についてきわめて重要な示唆を与えた。平和は和解に基づくべきもの、ということである。和解には罪の赦しが根底にある。ナチスによる人間蔑視の体制がもたらしたおぞましい罪を自覚しながら、その体制から解放されるために、フランスをはじめヨーロッパ諸国から「和解の手が差し伸べられた」ゆえに、今のドイツがある。このことを決して忘れない、これが現在のドイツ建国の基礎であることを明言した。過去の歴史に目を閉ざして「積極的平和主義」などを高言する安倍内閣の思想基盤と何と違うことか。
わたしの属する教団の関東教区では、2013年に「日本基督教団罪責告白に関する件」を可決し、罪責告白を教区内の諸教会・伝道所で折を得て告白するようにしている。既に教団は、1967年にいわゆる「戦責告白」を公にしているが、戦争責任よりももっと根源的に、正しい信仰からの離反・逸脱、偶像礼拝があり、そこからあらゆる不正義が生じたことに対して神に対して罪を認め、悔い改めが必要ではないかとの自覚に立って、10余年にわたって教団の諸資料を元に検証した結果として、「罪責告白」を公にすることになったものである。罪を告白することを通して、罪を犯した人々に対して赦しと和解を求め、そこから隣人との関係を築いてゆく道に他ならない。このような罪責告白を携えて韓国の老会とも交流を続けている。ささやかな営みではあるが、日本にもキリスト者の存在があること、その証しと営みによって平和を造り出す者として一遇を照らす者でありたいと願っている。 (あきやま とおる)
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