「積極的平和主義」・・・

矢萩 新一  日本聖公会 管区事務所総主事
 先日、沖縄・辺野古の海に巨大なコンクリートブロックが沈められ、珊瑚が押しつぶされている写真を見て、必死に座り込みを続けるおじいやおばあたちの顔が浮かび、本当に心が痛みました。同じ頃、安倍晋三首相は、「日本を取り戻す」・・・「安定した政治の下で、この道を、さらに力強く、前進せよ」・・経済再生、復興、社会保障改革、教育再生、地方創生、女性活躍、そして外交・安全保障の立て直し。いずれも困難な道のり。「戦後以来の大改革」であります。と、国会で施政方針演説を行いました。
 外交・安全保障について「国際情勢が激変する中で安全保障法制の整備を進め、戦後70年の今年は安全保障理事会・非常任理事国に立候補し、『積極的平和主義』の旗を一層高く掲げ、地球儀を俯瞰(ふかん・高い所から見下ろす)する視点で日米同盟を基軸に積極的な外交を展開し、日米ガイドラインを見直して抑止力を一層高め、名護市辺野古沖への基地移設を進める」と明言し、中国・韓国・ロシア・北朝鮮という周辺国との関係に触れ、その関係を改善していくと語りました。
 周辺国との関係を悪化させているのは誰なのか、自分たちの利益だけを語っていて誰から信頼されるのか!と憤りを覚え、「積極的平和主義」という名の軍国化に大きな危機感を覚えました。
 本来「積極的平和主義」は平和学の用語で、単に平和=戦争のない状態と考える「消極的平和主義」に対して、貧困・抑圧・差別などの構造的暴力がない状態を平和と考えているはずです。しかし、今の日本は「国家安全保障戦略」の基本理念として、自国の安全を守るためには専守防衛では不十分だ、米国と一緒に、集団的自衛権を再解釈して他国での武器使用を認め、国際平和への積極的な役割を果たすのだと、その真意を歪め、過去の反省に立つどころか歴史認識をごまかそうと必死です。一人ひとりの良心、キリスト者の表現では信仰こそが、真の「抑止力」となるのだと、常々わたしは考えています。
 日本聖公会では一昨年、お隣の大韓聖公会と「第2回世界聖公会平和協議会」を開催し、戦後50年を機に総会で決議した「日本聖公会の戦争責任に関する宣言」をもとに、世界に広がる教会と協働して正義と平和を実現していくことを決意しました。マイノリティーに対するヘイトスピーチに抗議する生命も昨年の総会でいち早く決議し、地球環境を破棄する原発の再稼動にも反対の意を表明しています。
 今の日本は、『平和を実現する人は幸いである』と一人ひとりの「いのち」に寄り添われたイエスさまの生きざまに倣うわたしたちキリスト者の目指すところとは正反対の道を歩もうとしています。取り返しのつかない70周年にしないためにも、教会の使命として、いろんな工夫をしながら真の「積極的平和」を求める方々と広く手をつなぎ、祈り、行動していく者でありたいと願います。
                 (やはぎ しんいち)