自分を偽って生きる人々
許 伯基  在日大韓基督教会つくば東京教会牧師
 昨年末に、全く予定になかった規制をした。久しぶりの帰省に母親が気を利かせて、叔父たちを呼んで一席設けてくれた。箸も酒も進むうちに、話題は昨今の政治情勢となる。「いや〜、それにしても困ったもんですね。あの安倍の韓国や中国に対する強硬姿勢は、いったい何をどうしたいということなんでしょうね?」すると返って答えは、意外なものだった。「韓国や中国が反日教育をするから悪いんだ。靖国神社参拝についてあれこれ言うのは内政干渉だし、領土問題も韓国や中国が無茶な主張をするから、日本は対抗せざるを得ない。」
 意識の差に愕然とし、あきれながらも、あえてもう一点歴史の問題について問う。ちなみに、私の母方の家族は強制連行によって来日し、そのまま日本に定着。彼らは日本で生まれた二世。年齢的には、物理的な在日朝鮮人差別をもろに受けて育った60代後半から70代前半である。その彼らから、こんな言葉が出る。「あれは戦争で、普通の時代じゃなかった。弱い国が強い国から侵略されるのはしようがないし、日本に統治してもらったおかげで、韓国は近代化できた。韓国だってベトナム戦争の時にひどいことをしている」ネット右翼と同じ論理に開いた口がふさがらなかった。ヘイトデモの動画を見せると「これは右翼からお金をもらって活動している人たちに違いない。これはごく一部の人たちで、大騒ぎする必要はない。お前は考え方が偏りすぎているのではないのか?」と逆に諭される始末だった。
 地滑り的なスライドが起きている。90年代に始まった「自由主義史観」を標榜する「学者」たちによる種まきは、確実に成果を収めていて、30〜50代の中に、極右・歴史修正主義・改憲指向の人々が、はっきりと層をなしている。ヘイトデモは確かにごく一部の人たちの過激な活動の社会の一角を担う。彼らの中にあるのは、隣国とその人々に対する差別意識というよりも、憎しみである・・・。教会とも在日とも縁のない、いわゆる日本の「世俗」の人たちとの付き合いの中で、皮膚でピリピリと感じる現実である。そして、そこに、上述した在日の逃避的なすり寄りが覆い被さる。彼らの多くは帰化をし、その子どもたちは日本人と結婚し、日本人として生きる道を選び取る。その過程で、日本人よりもさらに「日本人」であろうと指向する。積極的に同化し「自分たちは受け入れられている」というファンタジーに浸ることを選び取る。想像はしていたが、その現実を自分の足下で目の当たりにし、さすがにショックだった。自分を偽り、マジョリティに取り入って生きようとするマイノリティの、いかに悲しく、惨めで、醜いことか・・・。このような現実の中で、私たちは立ち続けなければならない。主が準備してくださっている、義なるシナリオを信じて。
                (ホ ベッキ)