『沖縄を忘れない』 |
日本バプテスト連盟 理事長・札幌バプテスト教会牧師 奥村敏夫(おくむら としお) |
昨年の晩秋、私は沖縄バプテスト連盟の。喜友名朝順理事長と共に、第一回目の「首相官邸前ゴスペルを歌う会」に参加した。物々しい警備ラインをすり抜けるようにして集会所(歩道のコーナー)に着くと、さほど多くはないキリスト者を中心とする一団が薄暗くたたずむ官邸に向けて讃美歌を元気に歌っている所だった。この集りは言うまでもなく、オスプレイ強行配備に反対し、沖縄の基地問題を今こそ根本的に考え変えていこうというメッセージを伝える為に開かれたものだが、基地問題同様重大な課題である原発・核問題で多くの人々が粘り強く毎週声を挙げている所でもある。同行した沖縄バプテストの代表はマイクを取り、参加者に連帯の挨拶をして下さった。集会の途中、沖縄の基地前で同時刻に開かれている「普天間基地ゲート前ゴスペルを歌う会」に参加されている方々と連絡を取り合い、臨場感と緊張感のある連帯集会となった。”矛盾の深化する所に連帯もまた深化・拡大する”事を実感させられた。 2012年9月の「オスプレイ配備に反対する沖縄県民大会」の参加者はついに10万人を超えた。沖縄がサツマ・ヤマト・米国の支配の下抑圧と差別に苦しんで来た歴史は永いが、今回の県民大会は歴史的エポックとして銘記する必要がある。沖縄の方々の痛みと涙を知ると共に、この重要なテーマとその現実を抜きにしてキリスト者はあり得ず、教会の営みはない、と考えている。今後も様々な形で、この課題を風化させず自らのものとする為にも、非暴力直接行動は続けられるであろう。『一億総保守化』等と言われている中で、時代の流れに抗して棹差すことは難しい。しかしキリスト者が「地の塩」としての、少数ではあるが全体に大きな影響を与え得る働きを今こそ失わず、むしろ「世の光」として大切なテーマを人々に力強く証ししていく存在でありたい。 1995年に起きた「米兵による少女レイプ事件」の折、私は教会員有志と共に、前任の福岡にある教会近くの駅前で署名・カンパに立った事があった。多くのメンバーと共に人々に訴えることが出来たことの嬉しさと共に、今は多少の後ろめたさを禁じ得ない。あの後、沖縄の基地問題を教会の課題としてどこまでフォローできたか、と自らに問い続けている。運動の難しさや限界はあるかもしれない。しかしもし政党がこの問題を置き去りにし、労組が声を挙げなくなっても、我々は、少数者であればこそ「ぴりり」と「きらっ」を心して、沖縄のことを決して忘れず祈り、取り組んでいきたい。 |