日本盲人キリスト教伝道協議会と今日の「障害」理解


日本盲人キリスト教伝道協議会議長
トマス 日高馨輔(ひだか けいすけ)



1.これまでの「障害」理解
 そもそも、「障害」とは何でしょうか。実は国際的にも「定義」はありません。ここ10年、障害(者)に対する考え方はかなりの変化が見られますが、これまで、一般的には「障害は障害者の問題であり、それ自身で克服していくべき」つまり、「障害者」は努力を積み重ね、非障害者に近づくことが期待され、「障害者」自身が変わることこそ大切であると考えられてきました。しかし、現在では、このような障害理解にはいくつかの問題があると考えられています。
(1)正常(普通)を基本とした障害者理解
 「普通」ということ自体、不明確です。そして、障害は「正常でない状態」、すなわち、「普通の人でない」ことになります。これでは、社会が「障害者」をありのままで受け入れることが困難になってしまうのです。
(2)障害は障害者個人の問題
 失った機能能力・社会的不利益を取り除くことは障害者自身の努力・・・・・。これでは、「障害者」の社会参加は困難になります。また、「障害」を心身の機能という理解に立っているため、社会で直面する不平等や差別・偏見についての問題を曖昧にしてしまいがちです。

2.変化が見られる新しい考え方とは
 2001年、WHOは「障害」を個人に負わせる「国際障害分類」を改め、「国際機能分類」の内容に基づいて「障害」理解を勧めています。社会との関係の中に存在する問題である、という観点に立ち、社会が「障害者」を排除していることが問題である、としています。「障害」を取り除く責任は「障害者」個人にあるのではなく、不平等で差別的な社会にこそ在り、変わらなければならないのは社会なのです。「障害者」が生活の中で必要とされる物理的な面、差別や偏見等の心理面を含む環境を整えることは、社会の責務と言えるでしょう。
 イエスキリストは言われます。
 「あなたはあなたのままでよい。その福音を述べ伝えなさい」
 盲伝はこのみ言葉によって立たされています。全ての人が共に有り、共存すべき私たちの社会で、新しい考え方のもとで障害理解を障害理解を推し進めていくことは、大切なことだと考えます。この世が真に平和でなければ「障害者」は生きていけません。生きにくさを抱え、命の重さを実感させられる「障害者」こそ、平和実現への基礎となりえるのではないでしょうか。この観点に立ち、盲伝はその責務を心に止め、平和を願い祈りつつ、使命を果たしてまいります。

(日本聖公会東京教区聖アンデレ教会嘱託 執事)






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