壊滅的惨状に、再び憲法前文を見る


日本キリスト教会牧師    
木村 治男(きむら はるお)


 東日本大震災、ことに東北沿岸部を襲った未曾有の津波、その被災情報は「壊滅」あるいは「壊滅的」という言葉で満ちた。どのマスメディアも、この言葉以外に、的確に伝える言葉を持たなかった。完膚無きまでもの被災情況を伝えるものだ。
 テレビ映像という視覚的情報によってもたらされたものだろう。家も車も何もかもが、不気味に煙をあげ押し寄せる濁流に次々呑み込まれていく惨劇を目の当たりにしたことである。橋も港も、空港も船までもが、ありとあらゆるものが波に呑み込まれ、破壊されていく。
 翌朝、今度は、泥地と瓦礫の山。これを伝えるにも、やはり「壊滅的」以外にはなかった。
 ここに想い起こすのは、66年前、敗戦時の廃墟である。沖縄は言うに及ばず、日本本土の大都市地方都市のほとんどが壊滅的惨状を呈していた。300機、500機と大編成で飛来する米軍の爆撃機B29の数百度に及ぶ空襲によって完全に焼け野原、瓦礫の原と化した。草木一本すら見せない広島、長崎、まさに壊滅的惨状であった。
 時の国家はそれを見て、ポツダム宣言を受諾、無条件降伏した。壊滅的惨禍をもたらした惨劇そのものが、日本全土に広がり、生産設備も壊滅的破壊を受けたのである。
 戦争は人の手になる惨禍だ。しかも、近代兵器では壊滅的惨状を呈する。かつて、66年前にその惨状を、私たちは見、経験した。恐怖と欠乏のみがあった。そして決意した。二度と、そのような惨禍を起こすまいと。それ故に、連合国の起草した草案を受け入れ、9条の「戦争放棄」条項を主権在民の新憲法、第二章に定め、宝としたのだ。
 第一次世界大戦後すでに、世界の諸国は戦争のもたらす惨禍が大規模で壊滅的であるのを経験した。第二次大戦の始まる頃には、国家間の紛争の武力解決には否定的だった。国際連合の憲章は大戦終結を待たずに、1945年6月には50ヵ国に及ぶ政府代表により署名されていた。占領統治を始めたGHQは署名されたばかりの国連憲章を念頭に置いて憲法起草案を作成した。日本国憲法9条1項と国連憲章2条4項は、「武力による威嚇または行使」の用語に符丁がある。憲法前文第2項終わりに何とあるか、「ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」。私たちは今思う。「壊滅的」惨状をもたらす戦争、それはやはり、起こしてはならない。東日本の惨状を見て、一体誰が再びこのような惨状を望むだろうか。他国と争い、武力行使に及びたいとしても、今や、壊滅的惨状をもたらす戦争は避けなければならない。なぜなら、恐怖と欠乏を目の当たりにした私たちは、前文の言う、「恐怖と欠乏から免れる」ことの本当に必要なことを、再び知らされた者たちだからである。




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