「アーメン ちむぐりさの主イエスよ 来たりませ」

日本バプテスト連盟・南小倉バプテスト教会牧師      
日本バプテスト連盟「平和に関する信仰的宣言」推進委員ほか
谷本仰(たにもと あおぐ)

 政権交代によってすべてが変わる…そんなバラ色の未来への期待は、あっという間に色褪せた。鳩山・民主党政権が、特に沖縄普天間基地の移転問題に関して、沖縄の人々に味わわせた落胆と失望の大きさは計り知れない。
 沖縄はこれからも苦しみを負わされ、捨て石にされ続けるしかないのか。
 米軍兵士による基地周辺での暴力犯罪は後を絶たない。人間性を剥奪され、機械的に殺戮を執行するように訓練された兵士たちが人間の身体や心やいのちを本当に大切にすることなど不可能だ。兵士の暴力犯罪を無くすには、基地、そして軍隊そのものを無くすしかない。
 絶え間なく離着陸を繰り返す戦闘機は耐え難い騒音をまき散らし続ける。教育も、人間関係も、生活そのものも、心も、バラバラに切り刻みながら。基地は巨大な経済的損失を沖縄にもたらし続ける一方で、真っ先に攻撃の標的となる。沖縄は、日本で最も高い戦争被害のリスクを今も負い続けている。
 沖縄の基地のすぐ隣にいっぺん住んでみないとわからないのかもしれない。鳩山さんも、私たちも。あるいは東京のど真ん中に、そして私たち自身の町に基地を。ついでに原発も。
そして基地を「仕分け」の対象にし、廃止しよう。ついでに憲法どおり、あらゆる軍備、兵器、軍隊も。そして私たちは今こそ我に返ってはっきり言おう。やっぱり基地も軍隊もいりません、うちは話し合いによってどんな国ともやっていくことに決めた国だったのです、と。

「肝苦りさ」(ちむぐりさ)。自分は相手の苦しみと関係のないところに立ち続けながら同情だけをする「かわいそう」の代わりに、沖縄ではこの言葉が自分自身の内臓の痛みとして相手の苦しみを感じるという意味で使われる。
「沖縄県外に基地を移設せよ!」沖縄の人々はそう叫んでいる。しかしよく耳を澄ませば、そこに「しかしそれでは基地が引っ越していった先の人々が『ちむぐりさ』だ…」というもう一つの声が響いている。「ちむぐりさ」を移設しよう。わたしたちの真ん中に。そして沖縄の痛みを、内臓で。沖縄から飛び立っていく戦闘機たちが中東で殺し続けている子どもたちのことを、日本の莫大な「思いやり予算」が支え続けている殺戮のことを、はらわたで。
 聖書は主イエスが「はらわたがちぎれる想い」(原文で「スプランクニゾマイ」)で、飼う者のない羊のような民を深く憐れんだと証言している(マタイ九章三六)。主イエスは神の「肝苦りさ」そのものであり給う。「わが神わが神何ゆえわたしをお見捨てになったのか!」神から見捨てられたとしか言いようのない現実の中にいる全ての者たちの痛みを十字架上で引き受けた主イエスの臓腑の叫びは、この世界の現実を貫き包んで今日も響き、平和と和解の朝(あした)の到来を指し示す。
  アーメン、ちむぐりさの主イエスよ、来たりませ!
  住みたまえ君よ、ここにこの胸に!




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