「カザルスに想う」

日本自由メソヂスト教団牧師 
大井 清美(おおい きよみ)

 1973年に三人の巨匠が世を去った。4月8日に画家パブロ・ピカソが、9月23日にノーベル文学賞詩人のパブロ・ネルーダが、そして10月22日にはチェロ奏者パブロ・カザルスが死んだ。その3年後に五木寛之は小説「戒厳令の夜」を出し、「その年、四人のパブロが死んだ」と書きパブロ・ロペスという人物を紹介した。ロペスは小説の中にだけ出てくる幻の画家である。
 さて、実在の人物は芸術家でありながら祖国の政権に異議を唱え亡命生活を余儀なくされた経験を持つ。ピカソとカザルスはスペインのフランコ政権に、またチリ国籍であったネルーダはビデラ政権によって祖国を追われた。中でもパブロ・カザルスのフランコ嫌いは徹底していて、この独裁政権を承認する国では絶対に演奏会を開かないという信条を貫いていた。ところがその彼が1961年11月13日に米国のケネディ大統領に招かれてホワイトハウスで演奏した。米国はフランコ政権を承認していた国であるが、ヒューマニズムの旗手として登場したケネディーへの希望と期待を賭けて彼はこの招聘を受け入れた。
 私はこのとき録音された名盤の最後の一曲を、昨年のクリスマス礼拝で使わせていただいた。この礼拝は10月5日に主の許に召された私たちの教団の総会議長、合田悟牧師を追悼する礼拝でもあった。そしてその最後の一曲とは有名な「鳥の歌」であった。カザルスの故郷、スペイン・カタロニア地方のクリスマス・キャロルが原曲であるこの曲を、カザルスは演奏会のアンコールに必ず弾いたといわれる。生涯足を踏み入れることができない望郷の思いをうつすもの悲しいチェロの音と、なんともいえない彼自身の切なさをこめた呻き声が混じり合って、3分余りの演奏が流れた。私たちは合田牧師を偲びながら長い沈黙を続けた。私たちにとって一つの時代が終わろうとしているのかもしれないとふと思った。
 ホワイトハウスから10年後、1971年の国連平和デーで95歳のカザルスがこの曲を演奏するに際して挨拶した言葉は有名である。−「生まれ故郷の民謡をひかせてもらいます。鳥の歌という曲です。カタロニアの小鳥たちは、青い空に飛びあがると、ピース、ピースといって鳴くのです。」平和を希求した三人のパブロが死んだ1973年、ベトナム戦争が終り、遂にフランコ政権も終焉を迎え、その二年後にはフランコ自身も死んだ。そしてみんないなくなった。歴史には不思議に区切りのようなものがある。
 私たちの小さな教団は、意識的には三人のパブロを引き継いだ1970年代の申し子であると言える。ベトナム、安保、万博、靖国、戦責等々、これらの重い課題を引きずりながらこの40年あまりをピース、ピースと鳴いてきた。多くの人たちはその鳴き声に聞き飽きて教会を卒業していった。牧師も信徒も急速に高齢化していく教会にあって、私たちの思いを誰にどう託していくべきなのか、カザルスのあの呻きが耳について離れない。指揮者を失い美しいハーモニーを奏でられないが、今はただ、残された者それぞれが個性豊かに平和の実現を願い、さえずり続けていきたいと思う。




HOME