「戦力は、これを保持しない」−日本国憲法 第9条−

東京聖書集会員        
田村 光三(たむら こうぞう)

 資本主義生産システムの拡充による生産力の増大は、人間の物質的福祉を向上させたことは否めない。近現代はこのパラダイムの展開の歴史であるといってよい。
 さて、経済成長は、近代的科学・技術の発達の関数である。それゆえに、技術の現実的利益は、19世紀後半から20世紀にかけての国家間の競争を刺激し、後発国であればあるほど、科学・技術の意識的開発とその生産への適用が、国家レベルで計画的に推進され、銀行がそれを擁護して、経済発展の「大躍進」(スパート)を達成しようとするにいたったのである。
 ところで、科学と技術の開発競争が、最も尖鋭に推進されたのは経済的局面とともに、否、それに先立って軍事的局面においてであったことを忘れてはならない。
 ダイナマイトは鉱山業においてより強力な火器兵器として用いられた。染料や農薬が毒ガスに、また、あの「アメリカ的製造方式」として知られている大量生産の基礎となった「互換性部品方式」は、何よりもまず、ライフル銃の製造によって一般化した。今日その必要が叫ばれている核エネルギーの利用も、その新しい科学・技術がまず原子爆弾を生み出すために用いられ、宇宙開発もあの冷戦時代における米ソ間の鎬を削る競争によって長足の「進歩」をとげたことは、今更のべることもないであろう。
 また、資本主義体制のもとでは、一方においては人類の福祉向上のための生産が標榜されながらも、実際のところは、商品価値のあるもの、つまり、企業や国家にとって収益のある財やサービス、ことに兵器・軍備が開発され、そのような技術開発のためには資金が惜しみなく投下され、いつの間にか、利潤追求、国益伸長といった大義名分の前に、人体や自然や他国への影響は省みられなくなっていくのである。その結果、今日のいわゆる生態学的危機や環境問題、そして先進国と発展途上国との格差や国際的緊張が、惹起されるにいたっている。
 人間生活を豊かにするために必要な財の需要と消費の増加は、生産を刺激するであろうが、その生産活動は、度が過ぎれば、資源の乱獲浪費と地球環境の悪化を招くことになる。
 人間のはてしない欲望を充たすために、企業の利益の増収のために、自然も生物も、地球も宇宙も、搾取され、踏みにじられ、満身創痍、その重荷に耐えきれない有様である。まさに被造物は「虚無に服し」、「うめき苦しんでいる」(ロマ書8章)のである。
 政治経済のあり方、人間生活のあり方がその根本から問われている。ミサイルを発射して国威発揚を競っている時ではない。「核のない世界」(オバマ大統領)のみならず「軍備のない世界」の実現に向かって各国が真剣に行動することが喫急の課題なのである。




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