世界に平和を望む


日本キリスト教会滝川教会牧師/靖国神社問題特別委員会委員長
加藤 正勝(かとう まさかつ)

 主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう(イザヤ書2章4、5節)

 敗戦63年目の夏を迎えた。改めて沖縄、広島、長崎をはじめ当時の惨状を知らされ、言いようのない恐れや悲しみ、空しさや憤りを深く覚える。各地で「平和宣言」がなされ、二度と戦争をしないとの誓いと全世界に向けて、核兵器の廃絶の訴えがあった。初めての被爆国として、戦争をしない憲法を持つ国として、世界平和への願いは切実である。福田首相も平和記念式典や戦没者追悼式に出席し「核廃絶・不戦・世界の恒久平和」を誓った。言葉が真実となるような政治を行わなければならない。どんな理由であれ「戦争はしない」との意思を国も個人も強く持ち、現実となるよう努力しなければならない。
 同じ時期8月15日に小泉・安倍両前首相や国会議員が集団で靖国神社参拝を行った。戦死者の死を悲しみ追悼することとは別に、軍人として戦って死んだ人を「英霊」として顕彰する目的である。戦争を美化し将来に戦争を想定する者は、戦死者を靖国神社で祀り、そこへ首相や天皇が参拝する道が開かれることを望んでいる。一方、今、自衛隊は実質軍隊として、海外に派遣され、いつ死者が出るか分からない。参拝への執拗な熱心さがその準備なら恐ろしいことである。
 戦後、為政者は戦前回帰への道を歩み続けてきた。「建国記念の日」「元号法」「国旗・国歌法」「教育基本法の『改正』」、「自衛隊法」、「周辺事態法」「有事関連法」「防衛庁(移行)」「昭和の日」、憲法改正の運動と「国民投票法」などの法制度と改正。また「我が国は天皇を中心とする神の国」などの発言や行動は、天皇を特別な地位へと関連付け、ゆがんだ愛国心教育、戦争準備へと向かっていることは明らかである。
 最近、札幌のある小学校に町内会からみこしが寄付された。危惧した人々が問い合わせたら教育委員会から「子どもみこし等は神具ではなく特定の宗教とは関係のない単なる物品」であり「担ぐことについては地域の一員として、関わりを深めるもので、その目的を超えて特定の宗教儀式に参加を強制しない」と回答があった。郷土愛や国を愛することがたやすく神社と結びつく気風だからこそ、政権分離を厳しく問わなければならない。すべての人の信仰、思想の自由が守られ、国民主権が実現されなければならない。これらの法制から町内会まで一連の動きには国家・天皇・戦争・神社を一につなぐ、何かの力がうごめいて見える。旧憲法下の天皇中心、国家神道の時代に決して戻ってはいけない。
 日本文化、風俗、習慣、儀礼行為の名のもと、神社を非宗教として、神社参拝した教会の歴史を恥じよう。礼拝の中で、宮城遥拝をし、君が代を歌った過ちと、皇国史観の中でゆがめられた聖書理解の下、喜んで戦争協力をした事実を直視しなければならない。このことを私たちの問題と受け止め、これらの課題としていきたい。




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