「破れ口」に立つ者


日本バプテスト連盟
加藤 誠(かとう まこと)

 この地を滅ぼすことがないように、わたしは、わが前に石垣を築き、石垣の破れ口に立つ者を彼の中から探し求めたが、見出すことができなかった。(エゼキエル書22章30節)

 昨年の11月末に開催された「9条アジア宗教者会議」において、日本国憲法前文に謳われた平和主義(すべての人の平和的生存権)と戦争放棄が明記された9条は、日々戦火が絶えることのない世界が必要とし目標とすべき理念であることが確認されたものの、それらの理念がまったく空洞化している日本の現実に対しては様々な角度から厳しい意見が寄せられた。
 たとえば、インドのヒンズー教の僧侶からは「9条は紙上にあるが、実体としては私には見えない。9条はいったいどこにあるのか?存在していないものを守ろうとしているのではないか」という厳しい批判がぶつけられたのである。
 3日目の会議で印象に残った発言の1つは、沖縄の平良夏芽氏のものである。。
 平良氏の発言は、自ら辺野古の海で命を賭しながらイエスの福音と深く向き合ってきたものであり、その言葉の1つ1つがズシンズシンと胸に響いた。

 「この会議では9条が讃美されているが、自分は違和感を禁じえない。なぜなら、沖縄では9条は一度も適用されていないからだ。沖縄の基地から、ベトナムやイラクに人殺しのために飛行機が飛び立っていった。沖縄は人殺しの島であり、加害の島である。『そのことを止めたい』と叫び続けているが、今だに止めきれずにいる。憲法の前文と9条に記された内容は素晴らしいものだが、単に『守る』という思いでは困る。そこに記された平和の理念を真剣に実現していく決意が求められている。辺野古の現場では、毎日『殴り返さない。怒鳴り返さない』という非暴力の原則を確認する。防衛省に雇われた作業員が、自分たちを羽交い絞めにし、バルブを閉め、ロープを首に巻く。しかし彼らは「敵」ではない。その彼らににっこり笑って向かい合っていくときに最も勇気が試される。自分にとって、それは自らの加害性と向き合う運動なのだ。イラクで出会った友人から『自分たちの命を奪っていく爆撃機は、沖縄から来ている。そのことをどう思うのか?』と厳しく問われた、その問いに応えるための闘いなのだ。この会議でも幾人かの方から『辺野古に行けなくて、祈るしか出来なくてすいません』と謝られたが、『祈るしか出来なくて・・・』は宗教者の言葉ではない。『祈ることの大切さ、すべては祈りから始まること』を知っているのが宗教者のはず。自分の現場で、真剣に祈る。お互いにそういう宗教者でありたい。」

 平良氏のことばを幾度も反芻しながら私の心に迫ってきたのが、エゼキエル書の言葉である。
 「廃墟にいる山犬のよう」に自分の霊を赴くままに歩む愚かな者たちに、「主の言葉を聞け」と、御言葉が迫る(13章1節以下)。主なる神は「この地を滅ぼすことがないように、破れ口に立ち」(22章30節)、「その石垣を築く者」(13章5節)を探し求めている。
 その呼びかけに何と応えるのか。9条という城壁がすでに崩れて穴が開いている日本で、その破れ口に立つ、キリストの福音に信従する者としての決意を改めて問われた3日間であった。





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