『神の平和』


日本バプテスト同盟 聖路教会
戸田幸子(とだ さちこ)

フィリピの信徒への手紙4章6〜7節
 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いとをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。

 このパウロの手紙は、パウロがエルサレムで捕えられ、ローマの獄中で過ごしていた晩年に書かれたもので、目前に迫りつつある死の危険を意識する中で書かれました。フィリピの教会はパウロがヨーロッパに渡った時に最初に伝道してできた教会で問題の少なかった教会ではありましたが、小さな波立ちは人の集まるところとして、やはりあったようです。2節に登場する二人の女性は福音のためにパウロと共に労苦してくれた信徒でしたが、この時、不仲の状態にありました。おそらく、パウロと共に福音を宣べ伝えるために努力を重ねていた時は、相手の人々と主のみに目を向けていたために、協力していたのだと思います。しかしそれが一段落し、表面的には落ち着いた状態になった時に亀裂が生じ、その亀裂はかなりのものであったことは実名があげられていることから、想像できます。その亀裂を埋めるのは「人知を超えた神の平和」だとパウロは説くのです。
 現代、余裕のない社会で、過酷な労働や人間関係のむずかしさから病む方々が増えているようです。新聞の広告にも「欝」状態の診断方法などが盛り込まれたものを目にすることが多くなりました。様々な原因があるとは思いますが、その1つとして、「神のかたちに似せて造られた」いのちへの軽視があるのではないかと思います。それは憲法で保証されている「基本的人権」の軽視にもつながります。
 しばらく前の、ある新聞の社説にバッタの大群が大発生する「飛蝗(ひこう)」という現象を例にとり、「人をひこうにしてはならない」との題で書かれたものがありました。
 わたしたちが普段見るバッタは緑色で単独でいますが、「ひこう」の時は黒ずんで
顔は四角ばり、体は脂ぎっているそうです。普通のバッタが豹変するのは、干ばつなどの危機を迎えた時で、普段のような緑が減って、わずかに残った草むらにえさを求めていろいろな幼虫が群がり、その時に出される分泌物がフンを通じて互いに相手を刺激し、それが育つと緑があせた成虫になり、何代かを重ねると黒い相になり、最後に一斉にとび立つ現象。危機がバッタを変える。人間の世界でもこれに似た現象が起こっていると著者は指摘していました。
 このような状態を防ぐものは、一人ひとりの心の中に与えられる「神の平和」に忠実に歩み、求め続けることにほかなりません。そして、この地上にキリストの平和が打ち立てられることを望み続けることに。





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