武力によらず、権力によらず


(財)日本聖書協会 総主事
渡部信(わたべ まこと)

 2007年の1月初め、ニューヨークにあるアメリカ聖書協会を訪れた。人々に聖書のみ言葉を届けるために、将来どのような働きが求められるのか、という主題の下に会議が開催され、そこに出席した。その会議には各募金団体の働きに精通しているスタッフがいて、次のように発言した。多くの国々に支援されるお金、物、サービス提供が結局のところ十分に活用されず、むしろ無駄や堕落した官僚を生み出してきている。勿論、援助はそれらの無駄を織り込み済みでなされるものなのかもしれないが・・・。問題の本質は、お金、物、サービス提供ではなく、そこに関係してくる人たちである、こう断言されていた。つまり、そこに関係している人たちがまず、神の正義と平和を求める人でない限り支援の働きはうまく機能しないということ。
 現在、世界で起きる政治や外交、経済や通商、その背景にある理念や思考は、それを動かしている人たちがどのような家庭、教育環境の中で育ち、現在、どのような信念で生活しているのかにかかってくるのである・・・。そのように考えると、そのような人々へ福音宣教の働きがなされることが大事なミニストリーになる。アメリカ聖書協会は年間何十億円という資金を国内で調達し世界中の聖書頒布を支援してきたが、今回、国連本部に勤める全世界の外交官の間に文書伝道のネットワークを作り、聖書ミニストリーの輪を広げる案が提案された。
 政治や外交政策というものは立場や現実の状況によって決断が常に迫られるものである。しかし、どのような背景からそのような為政者の決断がされるのかが、まさに事柄の根幹にある。1950年に建てられた国連本部の前にある公園の石碑には、イザヤ書2章4〜5節「彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう」(新共同訳)のみ言葉が刻まれているが、これを神のみ言葉として受け止める人たちがいないところに、根本的な問題がある。
 韓国では国家朝餐祈祷会がソウル市で毎年4月、海外と国内から政治家、財界人、教職者、信徒ら、4000人近くを招き、「世界平和のための証しととりなしの祈り」が行われる。そしてそこに韓国大統領も招かれる。日本でもこのような国家のための祈りが小規模ではあるが行われるようになって来た。このような群れが次第に大きくなり、ゼカリヤ書4章6節「武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって、と万軍の主は言われる」(新共同訳)とのみ言葉が主の日までに成就することを祈ってやまない。






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