分裂から和解へ


日本福音ルーテル博多教会牧師
長岡立一郎

 今から5年前の2001年9月11日のイスラム過激派によるニューヨーク・ツインタワービルへの旅客機乗っ取りと突撃事件は、私の目にはっきりと焼きつく大きな衝撃であった。出張先のホテルのテレビで、この事件を知ることとなり、しばらくテレビに釘付けとなったことを思い出す。また同時に私は、すぐに『文明の衝突』論(サミュエル・ハンチントン著)を思い出したのである。ハンチントン(政治学者)が世に初めて登場したとき、今後、世界はグローバルな国際社会になるとの一般的な見方が支配的であったが、ハンチントンは「グローバルな国際社会の一体化が進む」という方向ではなく、むしろ数多くの文明の単位に分裂してゆき、それらが相互に対立・衝突する流れが新しい世界秩序の基調となる、との指摘をしていたのである。この「ハンチントン理論」が私の脳裏をかすめ、イスラム世界とキリスト教世界の対立が起こりうるとの指摘が現実化するのではないかと危惧したのである。
 周知の通り、冷戦時代を経て、80年代後半「ベルリンの壁」が崩壊し、新しい平和な時代が到来することを人々は願ったし、21世紀こそ、戦争を終結し、地球の民が一つになる世紀だ、と期待してきたに違いない。しかし、現実の世界はどうであろうか。われわれの願いとは裏腹に、あちこちで民族紛争が起り、大国アメリカの覇権物語は継続しているのである。そしてイスラム世界の台頭により、文明、政治、宗教の対立がより一層鮮明化してきているように思える。
 では、われわれは、この世界の分裂・対立・衝突を避けることはできないのだろうか。有史以来、人類は戦いの歴史を繰り返してきた。そして多くの「いのち」を犠牲にしてきた愚かな罪の歴史を負っている。
 しかし、この分裂・対立・衝突の時代にあって、地球市民の一人としてわれわれは知恵を駆使し、平和への道を構築することから逃避してはならないと思う。特にキリスト者の使命と責務は大きい。というのも元々、キリスト者はパウロが説き明かしている有名な言葉「キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、・・・・十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」(エフェソ書2:14,16)によって「和解の福音」を聞き、赦され、生かされる救いを経験しているのである。この「和解の福音」に生きる者は、おのずと他者、多文化、他民族、多様な価値との対話をなし、共に生きようとするのである。分裂・対立・衝突ではなく、「和解と対話への道」こそ平和への第一歩となるのであるから。





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