教会は今、方向転換、悔改の正念場に立たされている


日本キリスト教会靖国神社特別委員会委員長/大阪北教会牧師
森田幸男



 『わたしたちは皆、汚れた者となり、正しい業もすべて汚れた着物のようになった。わたしたちは皆、枯れ葉のようになり、わたしたちの悪は風のように、わたしたちを運び去った。あなたの御名を呼ぶ者はなくなり、奮い立ってあなたにすがろうとする者もない。あなたはわたしたちから御顔を隠し、わたしたちの悪のゆえに、力を奪われた。』(イザヤ書64章5〜6節)

 憲法九条を変え、歯止めなく戦争にのめり込むことには、断固反対せねばならない。しかし、「わが国は、過去の侵略戦争を深く反省し、戦争放棄・戦力不保持の平和憲法をもっていたので、戦後60年、戦争をしない平和な国であったし、一人の戦争犠牲者も出さなかった」との改悪反対論を聞くとき、これは正しい歴史認識かと問わざるを得ない。観念的にそう言い得ても、事実はアメリカの世界戦略に取り込まれ、アメリカが世界に繰り広げてきた数々の戦争に加担し、罪過を重ねてきたのである。そしてアメリカは、憲法9条が日米軍事同盟の妨げであるとあからさまに言っている。

 預言者は、「わたしたちは皆、汚れた者となり、正しい業もすべて汚れた着物のようになった。わたしたちは皆、枯れ葉のようになり、わたしたちの悪は風のように、わたしたちを運び去った」と語る。この言葉に照らされ、戦後60年の歩みを省みると、理念上誇り得る憲法を、安保と自衛隊で実質的に犯し、アジア諸国に多くの戦争犠牲者を出してきたのである。それゆえ、「わたしたちは皆、汚れた者」となっている。そして、世界の人々の目に、特にかつて日本に侵された近隣アジア諸国の人々の目には、経済大国日本は、非自立の傀儡(かいらい)、無恥で、汚い、危険な国と映っている。このように、日本は、戦前・戦後の罪過のゆえに、風に持ち運ばれる枯れ葉のような浮薄な存在になっている。

 日本キリスト教会は戦後、かつて侵略戦争に加担した罪を悔い、罪責を担う、告白教会の形成を志してきた。しかし今、「あなたの御名を呼ぶ者はなくなり、奮い立ってあなたにすがろうとする者もない。あなたはわたしたちから御顔を隠し、わたしたちの悪のゆえに、力を奪われた」との預言者の言葉の前に、自らの福音宣教、反ヤスクニの闘いが、主の義と憐れみを証しする内実あるものであったが、検証を迫られる。教会は今、方向転換、悔改の正念場に立たされているのである。





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