沖縄の独立?!−命と尊厳を守る契約共同体を求めて

国際基督教大学教会牧師
北原葉子



 米軍再編計画の中で、日本政府は普天間飛行場代替施設を沖縄辺野古崎沿岸に造ることを合意したという。沖縄県はこれに反対。しかし日本政府は米軍基地使用の際の地元知事の権限を奪う法案を検討中という。琉球処分以降、一般住民が犠牲となった捨石作戦の沖縄戦、米軍の占領、基地の集中と日本国家のために常に命、安全を犠牲にさせられてきた沖縄の現実は安全保障の問題以上に、100年以上続く”国家規模での人権侵害”の問題ともいえる。これは安保に賛成反対を問わず、日本国民全体の責任が問われる問題である。筆者は沖縄在住経験から、沖縄内部の基地をめぐる複雑な利害対立やしがらみを痛感してきたが、しかし問題の原因は沖縄の内部にはなく、あくまで日本国による構造的な沖縄差別と考えざるを得ない。筆者の働く大学でも、ここ1,2年、学生たちの間で講演会や勉強会を開いたり、また個人で辺野古の座り込みに参加するなど沖縄の基地問題への関心が継続されてきた。先日も元沖縄県知事の大田昌秀氏を招いての講演会があった。大田氏は今回も新基地建設の要求を飲まされていくのでないかという危機感と絶望感に触れながら、一方最近基地を返還し跡地利用をした方が、経済的に有利であることが明らかになってきている中で、今まで経済面から現実的ではないと言われた独立論が、自治州化の可能性を含めながら議論されていることに注目しているという。
 復帰前から「沖縄特別自治体」化を唱える平垣治氏(イリノイ大学名誉教授、現在沖縄北部の名桜大教授)は1970年の評論「琉球人は訴える」で書いている。イギリス人と一言にいっても、イングランド人とスコットランド人が合同王国を作っている。またスイス連合国は、独立国をもって任する多数の国々が契約共同体として作り出した国で国際法上はスイス人でも、個人的にはまずジュネーブ人やチューリヒ人という自覚に立っている。そのように、自分は国籍は日本でも、第一義的には琉球人と思っている。このような国の重層性を意識しない日本復帰では沖縄住民の幸福は確保できないかもしれないとおそれる。沖縄は単に「復帰」するのでなく独自の文化を背景にした自治の主体として日本と「合併」するため双方納得のいく「契約」をむすぶべきだ。再燃する沖縄独立論への関心は、長期間過酷な人権侵害を被ってきたゆえの人権意識の高まりと日本国への異議申し立てと受けとめるべきだろう。自立した責任主体である自治組織が契約共同体を作るというエートスは、擬似親子関係で説明する天皇とその赤子である国民で構成される国体意識とは明らかに異なる。これは聖書の宗教、さらにプロテスタント教会のエートスといっても良い。人権侵害を放置しない、という緊急の課題がある。同時に、長い時間はかかるだろうが、多様性を前提として、それぞれの個人、集団の尊厳を認めあう国を作っていく精神を根付かせることも日本におけるキリスト教会の役割ではないだろうか。各教会の地道な教会形成がその現場でもある。
 





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