「無軍備の国家であり続けること」

東京聖書集会
市東禮次郎(しとう れいじろう)



 わが国は第二次世界大戦の後、50年以上にわたり戦争をせず無軍備平和国家としての歴史を刻んできた。この間の平和の歩みは多くの教訓を残した。第一に、戦争の正当化が困難であることを示した。わが国はアジアでの植民地が生命線であるとし、それを守るための自衛戦争と称して隣国への侵略戦争を始め、さらに世界大戦にのめり込んだ。果たして植民地は生命線だったのだろうか。平和憲法の下での歴史は、国民の誠実な努力と諸外国と平和な交わりによって国家が植民地なしで発展できたことを表す。植民地で代表される物質的欲望を戦争の正当理由にできないことが実証された。
 第二に筆者は、小学校から軍国調の教育を受けたので、連合国軍の占領下で作られた敗戦国の憲法の軍備放棄の規定は呑み込みにくかった。憲法が必須科目だった学校をどうやら卒業した頃、日本友和会(JFOR)で、アメリカの良心的兵役拒否者の話を聴き強い印象を受けた。彼らは、日本の真珠湾攻撃で多数の軍艦が沈められた直後に「真珠湾を忘れるな」の掛け声と共に軍事教練に励む同年輩の友を見ながら、「神の下にあっては、アメリカ人と日本人は平等であり、人間同士の殺し合いの戦闘はできない」として軍務を拒否し、代替勤務などに服した。彼らを通して筆者は、国家に軍隊は必須ではないとの思想に出会い、「軍備全廃という世界に前例のない国家像を掲げた日本国憲法は、いわば国際社会における良心的兵役拒否宣言とでも言うべきものであろう」と考えJFOR会員になった。
 第三に過去50余年の間、日本は忠実な無軍備国家だったかとの反省がある。文字通りの無軍備は終戦から5年間だけで、その後は警察予備隊及び保安隊を経て自衛隊が設けられ、国は武力行使の権能がないものの実質的兵備を国費で維持し続け、昨年の自衛隊費は世界第5位といわれる。また日米安全保障条約により米軍が駐留する。JFORの一会員は、この事態を軽軍備の経済大国化に向かう頽廃の過程と呼んでいる。頽廃とは原則の崩れを意味しよう。キリスト者平和ネットは平和憲法の維持を目標として掲げ、イラク戦争に対し第二次世界大戦前のキリスト教界にはなかった活発な反戦活動を行った。しかし残念ながら,戦争阻止はできなかった。戦争の当事国アメリカでは、一旦戦闘が始まるとマスコミの大勢がこれを支持し、民衆抗議は沈静化したといわれる。1931年9月の柳条湖の朝日新聞の論調変化(平凡社、半藤一利『昭和史』66-78頁)、1914年8月3日ドイツ軍のフランス侵入後のドイツ社会民主党の戦争支持の態度決定(中央公論社、『世界の歴史13』316頁)などを思わせる。第二次世界大戦の過ちを償うためにも無軍備の国家を守り続けたい。





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