“I Am in Gaza, and Gaza Is in Me”
ジェリー・ヨコタ
日本キリスト友会 
 「私はガザにいる。ガザは私の中にある。」
 これは、2024年3月23日に大阪で行われたガザ停戦巡礼で、10時間、40キロを歩きながら、唱え続けた言葉です。
 巡礼はたった一日、わずか10時間でしたが、歩きながら身をもって覚えたパレスチナ難民の長年の苦しみは、いつまでも忘れません。
 キリスト友会の創立者であるジョージ・フォックスが1646年の『ジャーナル』で述べているとおりでした。苦しみを訴える祈りの内でフォックスが神から聞いた言葉は、「あらゆる人間の条件について知っておく必要がある、さもなければどうしてそれに対応することができようか」ということを、歩きながら実感しました。
 あれから毎朝の祈りでこの言葉を唱え続けて、ナクバが今でも続いていることを心に刻みます。
 ホロコーストのトラウマもまた、今もなお癒しを求めていることを、心に留めています。
巡礼の日、雨でした。今でも雨が降る度ごと、パレスチナのヨハンナ・カタノチョ牧師の祈りを思い出します。
 「私たちの涙は、残虐さと人間性をつなぐ橋です」
 巡礼の日、荒涼とした河川敷を歩きながら、何回も躓きました。それ以降、石を見る時、ガザの瓦礫を思い出すようにしています。その瓦礫の下に閉じ込められた人のために祈ります。そしてマフムード・ダルウィッシュの詩を思い出します。
 「私達は石の絵だったらいいのに」
 最近、壁を見る度ごと、イスラエルが建てている隔離壁を思い出します。そしてガザの支援を呼びかける時、相手の顔が石のように、壁のように固くなってしまうのを思い出して、悲しくなります。「見て見ぬふりしないで!」と叫びたくなります。
 しかし、悲しい場面から目をそらしたくなる反応は他人事ではありません。心の周りに岩のような硬い隔離壁を築いているのは他人だけではありません。皆の心の壁を取り除くために、この事実を認めることが第一歩だと思えるようになりました。
今年の1月に、停戦が発効されました。そして3月にやぶれました。また4月12日に巡礼を歩くことにしました。
 今回は、シオニズムの罪について悔い改め、贖う姿勢をより強く見せることにしました。横断幕にも、”Confronting Christian Zionism with Love”=「愛をもってキリスト教シオニズムと向き合う」と書きました。しかし、今もまだ、あの壁の向こうから、親兄弟を亡くした子どもの鳴き声、麻酔なしで手足を切断される子どもの悲鳴、お腹を空かした子どものうめき声しか聞こえてきません。笑い声はいつ聞こえてくるでしょうか。
 昔、南アフリカの反アパルトヘイト運動に関わっていた頃、「どの子も私の子!」と叫ぶ男性の証言を聞く機会がありました。殺戮の現場で、自分の子どもが無事だと確認できたけど、隣人の子どもはそうではありませんでした。
 その十数年後、大統領になったネルソン・マンデラは演説で、「パレスチナ人が自由になるまで、我々南ア人の自由は不完全である」と言った時、あの時の父親の叫びが重なって聞こえました。
 1646年の『ジャーナル』で、フォックスは更にこう述べています。「世に闇と死の大海があるが、闇の大海を圧倒する光と愛の無限の大洋があることを知った。神の無限の愛を知った。」
 パレスチナの子どもたちの笑い声を一日でも早く取り戻すために、光と愛の無限の大洋を広げるために、出来るだけのことをしたい。