名を呼ぶ |
田島慶康 日本バプテスト同盟総主事代行 日本バプテスト柏教会牧師 |
昨年、2024年4月に法務省は受刑者をはじめ、刑務所や拘置所などに収容されているすべての人を、名字に「さん」をつけて呼ぶように改め、運用をはじめたとのことです。この背景には2022年、名古屋刑務所でおきた刑務官数人による受刑者への暴行事件があるようです。全国的に刑務官が受刑者を呼び捨てにすることが多く、「やつら」など尊厳のない呼び方がなされてり、それが暴行の背景にあることからの改めだそうです。 私たちは通常なにもなければ、相手を「〇〇さん」と呼びますが、感情に拗れが生じ、怒りや憎しみを覚え始めると呼び捨てをし、時には名前すら呼ばない、侮蔑したあだ名をつけたりします。私自身にも身に覚えがありますし、そのような場面になんども居合わせたことがあります。そのようにして感情を抑えているとも言えますが、暴力性が潜んでいることも否めないでしょう。特に先の件は、刑務官と受刑者という立ち位置や「みんなでやっている」という集団心理が働いて暴力性を抑えることが出来なかった例であると思います。 このことを初めて聞いた時からイエス様とザアカイの出会い(ルカ福音書19章)の場面が重なっていました。 ザアカイは「この人は徴税人の頭で、金持ちであった」(19:2)と紹介されています。徴税人は民衆から必要以上に徴税しており、その怒りもあり民衆からは「ローマの犬」と呼ばれていたそうです。民衆はそのようにして感情をコントロールしていたことも否めません。著者ルカはザアカイと民衆の断絶した関係を「イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。」(19:3)と表現しています。そこには通常に「ザアカイ」と呼べる関係がなかったのです。そこにイエス様が現れて「ザアカイ」と呼びかけられる。神ご自身であられ、正義そのものなるお方なのでザアカイに対して怒りを表すこともできたのに「ザアカイ」と呼ばれる。この出来事は民衆にとっては心地良いものではありませんでした。「これを見た人たちは皆つぶやいた。『あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。』」(19:7)と反応したのです。しかし、イエス様はザアカイと共に食事をし、語らい、生き方を導きました。変えられたザアカイを見て「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである」(19:10)とイエス様は言われました。ザアカイをザアカイと呼ばれる関係に癒しと回復と救いの道が開かれていることを教えられます。「あいつ」「こいつ」ではなく、丁寧に名前を呼びながら、自分の中に起こる感情を私の名を呼ばれるイエス様に取り扱っていただきたいと思います。 (たじま みちやす) |