「もしこの日に、お前も平和への道を
わきまえていたなら……。」
井上 豊(日本キリスト教会広島長束教会牧師) 
 ヘブライ語でエルサレムのエルは神を、サレムはシャローム(平和)ですから、ここはその名の通り平和の都でなければならないのですが、有史以来、幾多の戦乱を見てきました。今もユダヤ教、キリスト教、イスラム教共通の聖地として、世界戦争の発火点になりかねない大変な緊張状態の中にあります。
 主イエスが子ろばに乗って進み行かれた時、群衆の中にいた弟子たちはこぞって神を賛美し、それはまさに勝利の行進に見えました。しかしエルサレムに近づき、都が見えた時、主イエスはその都のために泣いて、「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……」と言われるのです(ルカ19:41~42)。主イエスの中に、ご自分がエルサレムで十字架にかかり、殉教の死をとげられることへの言葉に尽くせぬ思いがあったことは間違いありません。エルサレムで主イエスはすべての人の罪を背負って死んで、復活され、そこから福音が全世界に伝えられていくのです。ただ、これに続く「やがて時が来て、敵が周りに堡塁を築き、お前を取り巻いて四方から攻め寄せ、お前とそこにいるお前の子らを地にたたきつけ、お前の中の石を残らず崩してしまうだろう」(ルカ19:43~44)が予告しているものは何でしょう。従来、それは紀元70年のエルサレム陥落を指していると言われていましたが、それに尽きるのでしょうか。神の都エルサレムは。現在も危機のただ中にあるのです。
 私はいまガザやヨルダン川西岸地区で起こっている事態には、まことに残念ながらキリスト教がかなりの責任を負っていると考えています。キリスト教右派の人々は聖書から自分に都合の良い言葉を引っぱり出して、「神はユダヤ人にこの地(パレスチナ)を与えたのだから、他の民族が住む場所はない」とパレスチナ人の殺戮を肯定し、「ユダヤ人の生存はキリストの再臨の前提条件」なのだからと、イスラエルを守ることで再臨のキリストを迎えることが出来、まったく新しい世界が到来するものと信じているのです。このような人々がいることがアメリカのイスラエル政策に大きな影響を与えており、日本にもその支持者がいます。しかし戦争と殺戮の果てに決して新しい世界は来ません。何よりそれは神が良しとされることではありません。
 現在、日本を含む世界の多くの国で、ジェノサイドの中止と停戦、フリーパレスチナを呼びかける運動が行われていますが、心あるキリスト者はこれに加えて、聖書を根拠にイスラエルの軍事行動を支持する人々に対し、神学の構築とメッセージ、そこから来る行動において闘っていかなければならないと考えます。それなしにパレスチナ問題の解決はないからです。戦乱の都のただ中に子ろばに乗って入城されたイエスを平和の君と仰ぐ者たちが、再びその手を血でよごすようなことが決して起きませんように。
                 (いのうえ ゆたか)