「国葬」のあとには戦争がやってくる
 矯風会平和部門員・NCC靖国神社問題委員会委員  小林尚子 
 安倍元首相の「国葬」から9月27日で一年が経ちました。国論を二分したと言われる一大イベント「国葬」は、「昨年の出来事」として終了したわけではありません。民意を無視して強行された「国葬」の検証という課題が残されています。私たちがみた「国葬」をヤスクニの側面から切り取ってみたいと思います。
 「国葬」の何が問題であったのかについては、法的根拠の有無、国会審議を経ずに決定したことの妥当性など諸々あるわけですが、強行された儀式の中ではっきりと見てとれたグロテスクさは、「自衛隊」「天皇」「遺族」という配役でした。「国のために殉じた者として」の遺骨と遺族が自衛隊の主導でクローズアップされます。そして天皇の勅使が拝礼し最高の栄誉に与るという演出です。日の丸映像のもと、君が代・軍歌・天皇を称える曲の荘重な空間づくり...このようなことが挙行されたのです。安倍氏は戦死ではないものの、「国葬」を強行したい人たちにとっては、「国のために殉じた人」。名誉ある死という価値付けを行うヤスクニのシステムが立ち現れたようでした。ヤスクニ問題は過去のことではなく、今も生きている現代的テーマとして私たちの前にあるのです。「国葬」を検証する際の、掘下げるべき大切なテーマの一つだと思います。
  「国葬」のあとには戦争がやってくる。――そのように気づき、発言してきた人たちの鋭さと危機感は、いまや現実のこととなっています。世界をみれば先の見えない深刻な戦争状態が続き、新たな殺し合いが始まっています。日本も戦前状態にあるのは確かで、安保関連三文書、軍備増強など、我が物顔の政治はいったい何をしたいと目論んでいるのでしょうか。この度の「国葬」が、将来「国のために殉じた死」を顕彰するためのリハーサルとならぬことを願います。              
                   (こばやし なおこ)