ウクライナ避難者から教えられたこと
 YMCAウクライナ避難者支援プロジェクト責任者  横山由利亜
 2,450名のウクライナ人が日本での避難生活を余儀なくされている。YMCAは昨年3月、戦争前から日本で暮らすウクライナ人から家族の呼び寄せの相談を受け、渡航避難支援を開始。ウクライナ、ポーランドのYMCAと連携し、家族構成も事情も異なる165名の来日を支援した。成人男性は徴兵制度のため国を出ることができない。そのため避難者の4分の3が女性、当初、多くが母子や高齢女性であった。戦争が長引くにつれ、徴兵を目前に控えた16-17歳の少年や、「娘一人だけでも」と言って送り出される単身女性も増えている。
 命からがら来日しても、そこは安住の地ではない。ウクライナはとても教育熱心な国、IT先進国である。世界中どこに避難していても本国の小学校から大学まで、オンラインでの授業が受けられる。午前は日本語、午後は小学校や中学に行き、夕方から深夜にかけてウクライナの授業を受ける。ハードな生活に何もかも嫌になり引きこもる子や、愛国心に走る子どももいる。学び、スポーツし、交友関係を広げながら将来の夢を膨らませる、そういうかけがえのない時間をすべて奪われ、言葉にならない憤りや寂しさを心に抱えている。
 女性の社会進出が進んでおり、多くが医師、弁護士、会計士、鉄道技師、エンジニアなどキャリアを持っている。しかし日本語の壁、国家資格の規制でなかなか思うように行かない。日本語ができないというだけで、子どものような扱いを受けることにショックを受ける人も多くいる。
 夫や父親、親戚や友人をウクライナに残し、自分だけが安全なところにいることに「罪悪感」を十字架のように背負い、先行きが見えず、どう生きていけばいいのかと希望が持てなくなっている。人はパンだけでは生きられない。
 YMCAでは1100人以上の避難者と対話してきたが、まず全員が「戦争になるとは思わなかった。そしてこんなに長期化するとは・・」と話す。戦争はわかりやすい形では始まらず、ひとたび始まったら、普通の生活者の人生を寸断し、進学の夢や、仕事のやりがい、コミュニティのつながり、そういったものをすべてゼロにする。
 それでも、「キュウショク、プール、サイコウ」と小学生が話してくれ、「私たちにできることで恩返ししたい」と語ってくれる。その度に、遠く1万キロ離れた日本で「先の見えないなかで人生のやり直し」を迫られた人たちにとって生きる希望や力になっているのは、国家や政治の大義、軍事の増強ではなく、日常を共に歩んでくれる市井の人びとの存在であることにも気づかされる。
 恵まれた平和の国の支援者として与える側であるつもりだったが、「戦争の悲惨さ」「人間の尊厳の大切さ」、そして「日本は多様な人と暮らせる社会か、国籍に関わらずやり直しができる社会か」、むしろ教えられ、気づかされたのは私のほうであった。
                  (よこやま ゆりあ)