「見知らぬ人」が神を名前で呼んでいる ― 平和への慰めと希望
ドイツ語福音教会牧師 Marcus Tyburski (岡田仁翻訳)
 「あなたこそ私を顧みられる神」(創16:13)とハガルは語ります。彼女は奴隷で難民です。このみ言は、ウクライナでの戦争で人々が難民になり続けている2023年のローズンゲン年間聖句です。ハガル(見知らぬ人)のように、世界で戦争から逃亡する人が1億以上もいます。
 サラとアブラムに虐げられた「代理母」ハガルは砂漠へ逃亡します。彼女は孤独で、周囲に翻弄されます。そこから脱する方法は逃亡です。「あなたはどこへ行こうとしているのか」。主のみ使いの問いに対し、彼女は自分がなぜ逃亡するのかを話します。
 彼女はどこへ行くことができるのでしょうか。難民/見知らぬ人に未来の展望はありません。支援がなければ彷徨うのみ。砂漠はハガルにとって死を指します。
 しかし、孤独と沈黙の中で、彼女は神の近さを認識します! ハガルは苦難にあってなお、自分が守られて独りではないことに気づくのです。神は彼女に約束します。「わたしはあなたの子孫を数えきれないほど多く増やす」。この約束が彼女の未来を切り開きます。ハガルは神に名前を付けた唯一の人です。「私を顧みられる神」。
 戦争犠牲者/難民/見知らぬ人たちは、戦争により故国を離れざるを得ませんでした。人々はどこへ行こうとしているのでしょうか。人々はいまこの時も保護と安全を求めて、ドイツや他のヨーロッパ諸国にやってきます。
 私たちは信じます。ハガルの窮乏を顧みられた神が、苦しむ人々を顧みて未来を開かれることを!
 私たちの教会の礼拝では、ウクライナの人々と戦禍にさらされている人々のために平和の光を灯しています。私たちは、難民を見つめ、物語を聞き、献金などでわずかでも苦しみを和らげることができます。神自らが「権力ある者をその座から引き降ろし」(ルカ1:52)、「身分の低い者を高く上げ」てくださるようにと祈ることができるのです。
 「見知らぬ人」は私たちへのメッセージです。この人々はハガルのように神を呼び、「顧みられる神」であることを私たちに想い出させます。この慰めこそが私たちの慰めになり、平和な関係の内に生きようとする私たちの課題になります。神が顧みておられるならば、目をそらすことなど私たちにはできません。神が未来を切り開こうとされているならば、私たちもまた未来のために貢献するべきです。この人たちの希望こそが、ヨーロッパでの戦争、アジアや世界の他の場所での緊張の高まりに反して、私たちの共通の希望となるのです。
              (マルクス ティブルスキ)(和訳 岡田 仁)