日本は平和憲法と民主主義を護りましょう
東京聖書集会 中尾 猛
 日本は過去に於いて、日清戦争、日露戦争を行い、1931年(昭和6年)の満州事変を始めとして、15年間に渡る戦争で中国を戦場として来た。後に、これと重なる太平洋戦争では中国だけではなく、今の東南アジアの国々も戦場になった。日本は広範な地域に加害を与えて来た。後に従軍した人達から戦場のことを聴いたり、書物で戦闘のことを読んだりした。また沖縄での米軍との過酷な戦闘、日本全土に及ぶ空襲の事も忘れてはならない。私の家族4人(両親、私、幼い妹)は東京から愛知県の豊橋市に移り住み、1945年5月の終りか、6月の初めに、豊橋で空襲を受けた。郊外に避難したが、空襲の怖さは今でも忘れ難い。家は焼かれてしまった。同じ愛知県の渥美半島に移ったが、父は兵役に召集されてしまった。7月になって、愛知県豊川市の海軍工廠が猛爆を受けた。対岸の渥美半島から見ていて、鉄の建物が倒れる轟音は恐ろしいものであった。豊川市の現場に居た人々には地獄であった様だ。8月になり、広島と長崎に原爆が投下され、日本はポツダム宣言を受容れ、降伏した。当時私は小学校3年生であった。終戦後、数日が過ぎると、大人たちはあんな戦争、二度とやりたくないと云っていた。
 日本は第2次大戦後、過去を反省して、戦争をしない国としての平和憲法を制定した。民主主義の下で、言論の自由、報道の自由が憲法で保障されている。監視社会ではなく、だれでも自由にものが云えることは、当然の権利である。日本国民は平和憲法と民主主義、言論の自由を護って行かねばならない。
 近頃、話題になっている敵基地攻撃能力の検討や非核三原則の改定は戦争への道であって、平和への道ではない。如何なる武力も平和を造り出すことは出来ない。戦争が始まると、戦争ほど悲惨・残虐なものはない。ウクライナからの報道を見ていると、人の生命が奪われ、住宅や公共の建造物が破壊されることが無慈悲に行われている。人々の生命を癒す病院が攻撃されている。戦争は殺人と破壊であって、人間に自由と解放を与えるものでは決してない。モーセの律法には、人を殺してはならないと書かれている。仏教でも、殺生をしてはならないと教えている。無宗教の人でも、人を殺してはいけないことは知っている。神様からいただいた人間の生命は大切にして、地球に住む人間は共に平和を造り出す努力をしましょう。
                    (なかお たけし)