つながり
公益財団法人ウェスレー財団 代表理事   小海 光
 「私はぶどうの木、あなた方はその枝である。人が私につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」ヨハネによる福音書15:5

 2年にわたるコロナ禍で、わたしたちは繋がりの危うさと重要さを経験しました。今まで名刺交換やメール上での関係に偏っていた中、顔と顔を合わせるつながりの大切さ、 さらには心のつながり、霊的つながりが私たちの存在に致命的であることを感じさせられました。
 イエスキリストは「っながっている」ということを、とても大切なことだと教えています。ぶどうの枝が実を実らせるのは、 枝に力があるからではありません。枝がしっかりと木に結ばれていて、その根から幹を通して、水と栄養を与えられるからこそ成長できるのです。 ぶどうの木を通して命を与えられているから成長できるのです。 だからイエスは繰り返し、 「私につながっていなさい。」とおっしゃられます。 これは簡単なことではありません。困難や問題にぶつかると、 「神様はどうして困難を許すのだろう。」「どうして、私を助けてくださらないのか。」と不満と疑いから、神様を信頼できなくなることがあります。 ぶどうの木から離れてしまう時です。 でも、 ここで、私たちが忘れてはならないことは、こんな時でもイエス様は私たちに繋がっているということではないでしょうか。離れていると思うのは私たちの方で、神様は決して私たちから離れることはないのです。なぜなら、主イエスキリストは、「インマヌエルー神我らと共にいる」という方としてお生まれになり、私たちの罪によって十字架にかけられ死なれても、復活されて私たちのもとに帰ってくださり、今また、聖霊によって私たちと共に生きていてくださるからです。
 それは、自分の都合のよい時とか、やりやすい部分だけで繋がるというのではないのです。 主イエスは、「私の掟を守るなら、私の愛にとどまっていることになる。」とおっしゃいました。この掟とはまさに、「わたしがあなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい。」 というものです。  イエス様から愛された私たちは、イエス様に愛されているように他の人を私たちも愛していく。  これが、イエスの愛のうちにとどまっているということです。
 コロナ禍の中、平和ネットがネットワークを持つことの意味がより重要になります。 それは経験と情報の共有だけでなく、なぜ、 誰と、 どうやって繋がってきたのか、 また繋がっていくのかという、ミッションとビジョンを問われるからです。  平和ネットの使命は、 ネットワークを広げていくだけでなく、その繋がりを用いて、 ネット·ワーキングしていくことでしょう。 互いに命の源に繋がりつつ、さらに実を結んでいくことを祈りつつ、ともに働いていきましょう。
                    (こかい ひかり)