「移動」
マイノリティ宣教センター 共同主事/駒込平和教会 牧師 渡邊さゆり
 「この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった」(マタイ2:20)。これは、三度目のヨセフへの主の天使の言葉です。ヨセフは、エジプトからイスラエルの地を目指すようにと告げられました。しかし、さらなる危険が生じ、行き先は変更されます。こうして、ヨセフは、幼子とその母と共に、ガリラヤ地方で「引きこもり」ます。
 「…ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている」(2:13)。これは、二度目のヨセフへの主の天使の言葉です。命を狙われ、生き残りをかけてヨセフはこの二人と「夜のうちに」去っていきました。「夜のうちに」は、象徴的な言葉だと思います。殺意から逃れる人々の移動は暗闇の中で行われました。光のない時間、密かに命は奪われます。
「恐れず妻マリアを迎え入れなさい」(1:20)。これが、初めのヨセフへの主の天使の言葉です。ヨセフは「正しい人」で、その「正しさ」故に、マリアを離縁することを決心しました。妊娠中のマリアを迎え入れることは、ユダヤ人男性のあるべき振る舞いとして「正しくない」ことだったでしょう。しかし、ヨセフは「その道」を外れます。主の天使はヨセフを「正しさ」から引き離します。
 わたしは、クリスマス物語を結びから始まりへと逆方向へ読み返しました。時系列に〜古いものから新しいものへという辿り方で読むと、2021年を生きる私たちの日常生活経験とはかけ離れたものになると思ったからです。
 この物語から聴こえるのは、トコトコ、カタカタ、ゴロゴロ、他にも、表現できないような複雑な音です。人々の足音、杖をつき、歩行器を押し、車椅子を動かす音、人びとが扉を閉じる音、「ああどうか、誰にも見つかりませんように!」と、ドアノブを握る微かな音、隠れ家から漏れる微かな吐息のような音、これらが、聴こえてきませんか?盛大なキャロル、美しいハーモニーで救い主の誕生が祝われる時にこそ、ノイズを拾うための静寂も必要ではないでしょうか。
 2021年、コロナ危機に直面し、ファラオの如くに心を頑なにし、人びとに重労働を課し、拘束したのは、私ではないかと自問します。疫病の蔓延は世界の隅々に平等に被害をもたらしたのではありません。「みんなが我慢している時」ではなく、一部の人びとを著しく苦しめた時ではないでしょうか。誰が失職し、誰が罹患し、誰が自死に追い込まれ、誰が飢えたのか、それを「私たちみんな」にまとめてしまわれ、私たちは気づけなくなっているのではないかと思います。そして「コロナで得られたこと」へ注目させる言説によって私たちはなんとか癒されたいと思ってしまっているのです。
 コロナが流行ったことで得られた「果実」として、オンラインでの繋がり合いを喜び合う場面に触れると、人の死を忘却する「強さ」に魅了されていると感じます。強い風が吹いても(霊が激しく降ろうとも)、折れず、飛ばされず、つまり移動しない、大樹の影を見るのです。「よかった探し」に興じることが可能な大樹にこそつながる力に抗して、聖書を読みたいと思います。
 大粒の涙が頬をつたい、「く・る・し・い」という言葉が聞こえました。彼女はコロナの感染対策のためと称して時短営業になった店でアルバイトをしていました。経営困難の中、最初に切り落とされました。経済的、精神的に落ち、各所のフードパントリー、支援物資配布場所に顔を出しました。支援を受け取る時には足早に移動します。一刻も早く立ち去りたい、でも本当は話したいと複雑な思いの中、足早に移動しました。ステイ、ステイ、ステイ、とあれほど促されてた中で、移動をし続けたのは彼女たちでした。
 移民、技能実習生、留学生は、帰国困難や、在留資格が切れることで生活基盤が揺るがされました。「非正規」とされた日本に住む外国人の、生活困窮は深刻化しました。ヒアリングを経て、支援金をお渡しする日に「どこへでも取りに行けます!」と、何駅も先まで徒歩で来た方がいます。すぐにそのお金が必要であったことには気づかないでいた、私の鈍い感覚を恥じました。移動しているのは彼女たちだったのです。
 軍事クーデターを起こしたミャンマー国軍の合言葉は文字通り「大樹を維持するためには雑草は根絶させる」です。空爆、砲撃、焼き討ち、レイプ…、根絶の対象となったのは市民です。爆発的に増えるコロナ感染によって亡くなった方々の、遺体を運び続ける人びと、養育者を失い養育施設に移動する子どもたち、100万人以上の国内避難民はジャングルの中で移動を続けています。
 マタイがコンパクトに記すイエス誕生物語の旋律は「移動」です。
 占星術の学者たちと訳出された「マゴス」たちは、知者という肯定的な意味よりも、むしろ、人びとを惑わす「偽預言者」として忌避された人びととも考えられます。「正統派ユダヤ教」指導者らの目には、異質な来訪者とみなされたでしょう。ヘロデ王は躊躇なくマゴスと接触しましたが、必要な情報だけを吸い取り、マゴスを移動させ、自分は動きません。
 ヘロデの志向、ヘロデ王の体制の支持者はそれぞれに、マゴスの辛辣な言葉に動揺します。ユダヤ人の王にユダヤ人の王の誕生を尋ねるとはなんという皮肉、恐ろしいほど明け透けで、この言葉はヘロデの心に突き刺さったでしょう。しかし、身体は動かしません。
 移動する人々は、大樹への不服従を貫きます。幼子もまた大樹への不服従のゆえに、十字架につけられることとなります。しかし、神はその十字架への縛りをほどき、墓の中という密室の拘束から、この幼子を解放します。ベツレヘムの家からエジプトへ、エジプトからイスラエルの地方へ、イスラエルの地方からガリラヤへと移動させる神、それがクリスマス物語に埋め込まれた移動の福音です。イエスはこの移動の福音を生き、死に、そして引き起こされてはまた移動します。クリスマスは大樹維持の思考に対抗する日、折れた枝、切られた樹木、枯れた草、しおれた花が聖霊の風にのり自由に移動することに希望を見出す日ではないでしょうか。必ず解かれていくと信じて。 
                      (わたなべ さゆり)