新型コロナと信仰
キリスト者政治連盟機関紙「キ政連」編集委員  中村雄介
 昨年来の新型コロナウイルスの蔓延で、私たちが長年先送りしてきた社会的・経済的な 多くの問題の解決が一気に迫られてきた。一部の学者や政治家たちからは、早くから警告 や予測がされて来きていたが、従来の考え方ややり方を変えなければならないことから、正 当に問題と取り組むことを先延ばしにしてきたと思う。重要なそれらの問題とは、地球規 模でいえば環境問題であり、社会的にいえば経済的所得格差の問題である。そのことによ って生じている人類社会のひずみ・混迷度は深く、国家・民族間の激しい争いは絶えない。
 たとえば気象予測能力を遥かに超えて襲ってくる台風・集中豪雨、あるいは異常な熱波 の頻発に対して、その原因が過剰CO2の排出による地球温暖化の結果であると結論づけても、その解消・解決は容易ではない。現代の文明生活を支える基本的エネルギーとしての電気を生み出すためには、現在の技術の段階では排出ゼロは不可能である。そのために最近「CO2ゼロ目標 2050年」と政府が謳っているが、その実現の可能性も至極困難であると予想される。それは私たちの日常生活の中で、電気ばかりでなく、航空・運輸・建築・医療等でもCO2を排出するエネルギーをどうしても必要としているからである 。
 さらに言えば、「ヒト・モノ・カネ」の一層の流通を促す新自由主義経済の台頭が、こうした社会的状況を生み出すばかりか、結果的には経済的歪み・一極集中の所得格差を助長する現実をもたらしているのだ。オンラインの普及で世界中の情報が瞬時に伝えられる時代に、露わにされた経済的貧富の格差の益々大きくなる現実社会。この矛盾した深刻な問題を前に、私たちはどう生き、どう考えることができるか、深く祈り求めて行きたい。
 前大統領の失政によるとはいえ、米国では両大戦の戦死者よりも多くの犠牲者を出した というこの新型コロナ襲来を端的にどのように受けとめるかは、各自のコロナ以後の生き 方にかかわると思う。人間生活の利便性、効率の向上、生活の豊かさを求めてきたために、 自分たち自身の「生存の危機」を招く結果になっている現実の状況に「むさぼるな」との 『十戒』の戒めを忘れ無視した私たち人間の愚かさ・弱さ・罪を思わずにはいられない。
 そのような考えから、こんどのコロナウイルスの蔓延を単純に「禍い」と呼ばず、 人間の絶滅を救う神の試練として「幸い」と呼ぶ方々の基本的な信仰理解に同感する。
                   (なかむら ゆうすけ)