コロナ禍で気づいたこと
日本自由メソヂスト教団・議長・小児科医師  米澤澄子
 日本国内において昨年1月、一人のコロナウイルス陽性者から始まったCOVID19は、一年たった今、コロナウイルス陽性者が29万人を超え死者も4000人を超えるまでに増えた。
 私たちの教団は、兵庫県と大阪府に六つの教会を有する小さな教団で、クラスターにはなりにくいと考えたが、昨年4月から5月の終わりまで、信徒の居ない礼拝を行い信徒には家庭礼拝を推奨するようにと各教会にお願いした。
 私の牧会する教会は、堺市の東に隣接する小都市にある小規模教会で、ユーチューブの準備ができないままにスマホで礼拝の動画を配信して信徒にはおおむね好評であった。スマホを持たない信徒には、「説教」と「祈り」を載せたプログラムを日曜までに着くように送った。小規模教会のわずか二か月の短期間であったが、スマホを持つこと・扱うことが出来る人とできない人の間に不平等が生じたことに心が痛んだ。
 毎週行っていた愛餐会を中止したので秋の終わりには米とレトルト食品が残り、有効に使おうと役員会で話し合って市の福祉協議会に連絡をしたところ、「私たちの市には貧しい方はおられますが、食料を配布するほど困窮している方はおられません。それで食料配布事業はしていません。」と言う返事であった。確かに、ホームレスと思える人を見かけることは今までになかったけれど、コロナ禍で職を失くして三度の食事を食べられない人は増えているのではないだろうか。役所は、そういった困窮者に気づかず、気づきたくもないのかもしれない。私たちはうわべだけで人を見て判断してしまう。 特に公的機関にはその傾向が強い。結局、食品は西成で炊き出しをしている知人の牧師が取りに来てくれてホットした。
 1月に入って、寒さが厳しくなった。仕事を失い、宿泊施設や寮を追い出された人々はどうするのだろうか。その上言葉も十分にわからない異国の人々の心細さを考える時、自分の教会が所属する都市に、どこの国の人がどれ程の人数おられるのかさえ知らない自分自身に気づき、他者を非難する前にしなければならないことが有ると気づいた。
 コロナ禍で、気づいたことや反省したことが多くあり、今後に生かしていこうと思う。
                        (よねざわ すみこ)