《クリスマスメッセージ》 「闇に光を!」
栗原 茂  日本福音ルーテル教会 定年牧師 
言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。
暗闇は光を理解しなかった。(ヨハネによる福音書1:4~5)

 きよしこのよる 星はひかり すくいのみ子は まぶねの中に ねむりたもぅ いとやすく、
     讃美歌109番 1節 由木 康 訳 JASRAC 出 2010072-001

 夜も更けベツレヘムの気温は4度前後、冷え込んできました。夕暮れ時の宿屋のざわめきも収まり、あたりは静かです。時おり舞い込む風が枯れ草を巻き上げ、布にくるまれた幼子と飼い葉桶の上に舞い降りてきます。この冷たい風は標高726mベツレヘムの丘陵地を這うように流れ込み、行き止まりの岩屋の中で渦巻くのです。マリアは先ほど幼子に母乳を含ませ飼い葉桶に寝かせたところです。汚水に交じって干し草とカラス麦の香ばしい匂いが漂っています。いつしかマリアも眠りに就きましたが、一陣の風に身震いをしました。体を起こすと、隣ではヨセフが両足を広げ、あおむけで眠っています。
 ご存じでしょうか。パレスチナの女たちは伝統的に人手を借りず出産のすべてを一人でやってのける誇りをもっていました。マリアの場合も、助けを借りることなく何もかも一人で初産を済ませたと想像できます。もちろん、旅先の薄暗い家畜小屋でのこと「不安が全くなかった」と言えばうそになります。しかし宿屋の女主人が運び込んでくれたお湯の入った容器に後産で汚れた手を入れ、そのぬくもりを感じた時、マリアはこみ上げる深い感動に襲われました。それは、必ずこの日の来ることを伝えた”恵まれた女よ、おめでとう!主があなたと共におられます” という天使ガブリエルの言葉がよみがえったからです。宿屋の女主人の心遣いに張り詰めていた緊張が緩んだということもありますが、誰が見ても、その時のマリアの表情には母となった言いしれぬ感動と無事に産み終えたという深い安堵感を見ることができるのでした。
 しかし、洞の中からマリアが視線をこらすと、ベツレヘムの丘陵地の先、距離にして10キロほどにエルサレムの都があり、そこには濃い“闇”がありました。どんな闇だったでしょうか。一つ、為政者による闇です。当時ユダヤは、ローマに支配され既に60年ほどの長い年月がたっておりましたが、為政者は皇帝アウグストに追従し、民衆には搾取の負荷をかけて恥じないヘロデでした。それは戦後75年を経てなお、沖縄に多くの基地を押しつけ沖縄に寄り添うといいながら大きな犠牲を強いる日本の政権の闇にも似ています。そもそも住民登録という14年ごとに行われた人口調査の勅令で、ヨセフとマリアがベツレヘムに旅をすること自体、それは背後にある覇権大国ローマの闇の力でした。二つ、やがて、数年後にそのヘロデ大王は亡くなります。闇は消えたのでしょうか。消えません。画家ブリューゲルの「ベツレヘムの人口調査」という作品を見るとそれがわかります。身重のマリアをろばに乗せ、ヨセフが手綱を引いています。よく見るとヨセフは左肩にひどく目立つ「大きな鋸」を背負っています。なぜ彼は住民登録のための旅なのにノコギリを担いでいるのでしょうか。それは逼迫した庶民の暮らし、不況と重税に苦しむ彼らの現実の象徴です。ヨセフには登録後ナザレに引き返す当てはなく、ベツレヘムの地に踏みとどまり出稼ぎの仕事を探し、しのがなければならなかったのです。三つ、にもかかわらず為政者は民衆を顧みず、国策として神殿の造営には異常なほど熱心でした。なぜ、国民の生活とはかけ離れた箱モノに政局の中枢は熱心なのでしょうか。それは、大祭司カヤパが院政を敷いていたからです。利権がらみの神殿経済を牛耳るサンヒドリンには、どこかの国の派閥政党にも通じる利権集団ムラがありました。御用政党ヘロデ党が多数を占め、貴族や大商人との関係の密接なサドカイ党ものさばっていました。民衆は、こうした見えない搾取と利権に群がる禿鷹という“闇の力”に翻弄されていたのです。四つ、ヘロデが死に、その息子ヘロデ・アンテイパスの時代になっても、政治的な闇は一段と深まるばかりでした。後に成長したイエスが口汚く,あの狐に伝えよと言ったのはヘロデ・アンテイパスのことですが、国政を預かる為政者が嘘つき呼ばわりされるのは,どこかの国の政局同様です。そうした時代でしたから、世の中を何とか変えたい!という民衆の切実な声は、しばしば辺境の地で一揆(チウダ)の武力蜂起となりました。しかし、武力で平和はつくれないのです。“無力感の闇”は続きました。
 さて、クリスマスメッツセ-ジだというのに、当時の闇ばかりを少し強調しすぎたかもしれません。しかし、これくらいで当時の闇を理解したつもりになって欲しくはないのです。ヨセフとマリアは、ほどなくしてエジプトへの逃避行を迫られます。難民です。なぜですか?それは、ヘロデ王が、新しく生まれた幼子が新しい時代の王になるという噂に怯え幼児虐殺の暴挙に出たからです。ベツレヘムは当時人口2千人ほどの小さな村でした。ですから幼児が殺されたといってもその数はおそらく25人前後のことだったでしょう。しかし数の問題にしてはいけません。気づくべき重要なことは、毎年クリスマスの季節に新しい希望のいのち(生命)が誕生するというのに、時の御用学者たちはそれを知らず、むしろ脅かす闇の勢力として動くのです。結果、新しい生命を預かった夫婦がその生命を狙われるのです。あえて文字にして強調しますが、もしクリスマスにこの闇の力と向き合って生きることを始めなかったら、クリスマスの出来事は歴史の物語とはならず、息の根を止められるのに等しいのです。クリスマスの夜は、これから始まる息詰まるドラマ“闇との戦い”の幕開けです。すべては幼子を守る養父ヨセフと聖母マリアの肩にかかっています。求められていることは何でしょうか? 思うに、それは、幼子の生命を守るために体を張って行動を起こしたヨセフとマリアに続くということではないでしょうか? 
 平和の主が、道筋を示し導かれます。闇に光を!そして、だからこそ、メリークリスマス!
                    (くりはら しげる)

 きよしこの夜 み子のいのち 平和をつくる ちからと愛を あたえたもう いまもなお
       讃美歌109番 4節(原詩3,4,5節より意訳) 栗原茂