憲法9条平和主義と教皇フランシスコ
光延 一郎       日本カトリック正義と平和協議会秘書
 安倍晋三氏は、ようやく政権から去ったが、菅政権は、さっそく日本学術会議委員の任命で、強権政治の馬脚を露わにしている。前政権の中心で官僚の人事支配や沖縄への冷たい仕打ちを取り仕切ってきたのは菅前官房長官であり、手なずけたメディアが流布した「甘いもの好きの庶民派、 実務派」との新首相のイメージも一瞬にして剥げ落ちた。自民党は「敵基地攻撃能力」を言い募るし、沖縄情勢を含め、今後も憲法九条骨抜きが危恨される。
 今年は戦後75年だ。 長崎で潜伏キリシタンがカミングアウト(1865年)してから155年。明治150年は2018年だったが、75年はその半分だ。1945年以前の50年、日本は日清戦争からずっと侵略と植民地支配を続けてきた。敗戦を経て全く別の国になるつもりで歩んできた75年は、私と私の教会にとって何だったのだろう。
 75年の最近三分の一、 戦後50年(1995年)頃からの25年間で「壊憲」の動きが強まった。アメリカを盟主とするグローバルレ経済秩序の下、自衛隊を憲法九条の縛りから解いて日米安保同盟が強化され、対米従属の裏では、ナショナリズムを保持するべく歴史修正主義や排外主義が広がった。 その「壊憲」策動の中心にいたのが、 安倍前首相であった。
 そして今、世界は米中欧露印などの間で覇権争いが続き、貧困·経済格差、 排外主義、差別や暴力による「分断と支配のグローバリゼーション」がむき出しだ。 憲法九条にも合致する「連帯と共生のグローバリズム」は可能なのだろうか?
 その点で、手前みそではあるが、 教皇フランシスコは、まさにこの危機の時代に摂理的に与えられた預言者だと思う。去る9月25日に、国連に送られた教皇のビデオメッセージで強調されたのは、今のコロナ危機は「選択の時」「回心と変容の機会」だということ。
 私たちは今、分岐点に立っている。 第一の道は、①新たな世界的な共同責任と正義に基づく連帯、人類の平和と一致、 多様性を強めていく道。のもう一つは、 自己完結的な自国中心主義、保護主義、個人主義、 そして貧しく弱い人々を排除しつつ孤立させる道。
 私たちは、もちろん第一の道を選ぶべきだろう。コロナ対策が立場の弱い人々に行き渡るように。経済的不正義、 環境悪化、人種やジェンダー差別の是正、そして軍縮と核兵器禁止が進展するように。
 フランシスコは、10月3日に、こうしたビジョンをまとめる「フラテリ・トゥッティ(Fratelli tutti)」という社会的な兄弟愛を訴える回勅を発表した。
 ご注目いただければ幸いである。    
                    (みつのぶ いちろう)