「わかりあえないことから」再出発
古賀 博  日本クリスチャンアカデミー関東活動センター運営委員 
 この10数年、日本クリスチャンアカデミーの関東活動センター運営委員として奉仕している。
 アカデミー運動は、戦後のドイツにおいて戦争への反省と懺悔の中からキリスト者たちによって生み出されたもの。異なる立場の人々との出会いの中で、 「はなしあい」や対話を大切にして、相互理解を進めようとの運動として開始された。「出会い」 「はなしあい」「支えあい」が活動の柱である。
 日本では1957年から「はなしあい運動」が開始され、現在は京都の関西セミナーハウスを活動の拠点とし、関東では日本キリスト教会館1階に事務所を構えて活動のみを行っている。前述の三つの軸を大切にし、正義と平和の実現を目指す働きを担おうと、 キリスト教団体との協力カの下に、 細々とではあるが活動を継続している。
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 平田オリザさん(劇作家)の『わかりあえないことからーコミュニケーション能力とは何か』(講談社現代新書)は、 「わかりあうために」ではなく、「わかりあえないことから」という実に印象的な題名の一冊。
 著者は「人間と人間の対話を書きたい。 家族や同僚といった、互いに理解し合っている前提で交わされる会話ではなく、お互い分からないという前提で始める対話」と自らの目標を記し、また「常に違うものを見ているという前提にたった人が、いっしょに思考実験に参加し、同じものを見た、同じ時間を共有したという確証をもって考える…同じように思うことではなく、同じものを見ること。そこで互いの感覚や差異を確認し、なぜ違うのかという対話が生まれる」とも書いている。
 簡単にはわかりあえない、感覚や考えに違いがあるとの前提に立ち、一緒に何かを経験する中で感じ方や考え方を丁寧にすり合わせる、こうした「対話」を通じて相手を理解していくあり方が提唱されている。
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 現場(教会·教団)において、同じ聖書を読み、同じキリスト教を信じているのに!?との嘆きを抱くことが多くなった。 平田さんの語りを踏まえるならば、私の嘆きは私の認識の誤りを表していることになる。 同じ信仰・立場という幻想を脱して、「わかりあえないことから」再出発すべきなのだろう。
 そして真実の「対話」へ…· これにはかなり困難が伴うが、そこへ向かう努力を抜きにして、真の正義と平和の実現は遠いとも感じている。
                          (こが ひろし)