《クリスマスメッセージ》 「恐れるな。」
辻子 実  恵泉バプテスト教会 
 10月22日即位礼正殿の儀の日は、突然「天皇の即位の日及び即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律」によって、一回限りの休日になりました。
 この日、建学の精神に“西南よ、キリストに忠実なれ(Seinan, Be True to Christ ) ”を掲げる西南学院大学で、西南学院大学神学部・九州バプテスト神学校・福岡地方バプテスト連合社会委員会共催で開催された公開シンポジウム「天皇制を考える 2」に参加する機会が与えられました。
 全国の大学で即位礼正殿の儀の日に「天皇制を考える」集会が持たれたのは、西南学院大学のみではないかと思います。主催者の方々になにより、敬意を表したいと思います。
 時間に余裕をもって会場に行きましたので、クロスプラザ(学食)で珈琲でも飲んで時間調整をしようと思ったのですが、お休みでした。
 これは「休日とする法律」に基づきなんらおかしくないのですが、ドアの張り紙を見て、眼が点になりました。
 《定休日:日・祭日》

「祭日」? 「旗日」?
 キリスト教にとって祭日とはイースターやクリスマスではないでしょうか。とするなら、今日が休業というのはおかしくありませんか。と、あまりのことで講演の最初に発言させて頂きました。
 《定休日:日・祭日》は、西南に限らず以前、某キリスト教書店でもありました。
 10月14日には皆さんご承知のように<平和を実現するキリスト者ネット全国集会「改憲の動きに対してキリスト者として考える」>が東京で開催されました。
 私も参加させて頂いたのですが、分団で「旗日」と発言された方がいらっしゃいました。分団の発言の流れを止めるのもどうかと思い聞き流しましたが、「祭日」「旗日」。
 祭日とは、宗教儀礼上重要な祭祀を行う日のことであり、1945年以前は、皇室祭祀令により定められた大祭日の大半が祝日とともに国家の休日として法制化されたことから言い慣らされた言葉であり、「旗日」も「祭日」に家々に「日の丸」を掲げたことから発生した言葉であることはご承知の通りです。
 「天皇制を考える」集会を開催する大学構内で、平和を実現するキリスト者ネット全国集会において「祭日」「旗日」が生き続けていることに深い憂慮を覚えます。
 現在は法律的に「祭日」は存在せず、国民の祝日に関する法律によって「自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、ここに国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを「国民の祝日」と名づける。」と定められています。
 日常生活の中での天皇の祭日が存在し続けていることが、一番怖いと思います。
 私はなぜ戦前のキリスト教界は、唯一の神と現人神が共存できたのだろうかと考えてきました。行き着いた先が、今までの発想は、「唯一の神を告白しているのだから、天皇は神ではない。」という論法だったと思います。
 発想を転換して、「天皇は神である。」という視点に立って、天皇を考えると見えない物が見えてくると思います。
 「あなたの中に異国の神があってはならない。あなたは異教の神にひれ伏してはならない。」(詩編81編10節)の言葉を、確認し続ける事こそ、私たちに課せられた信仰告白ではないでしょうか。

利用できる天皇
 2019年4月18日朝日新聞の「あなたは、いまの皇室に親しみを持っていますか。持っていませんか。」という世論調査でさえ「持っている」と応えた人が76%もいるのですが、逆に考えると、2016年8月8日の天皇退位ビデオメッセージに始まる天皇伝道番組の圧倒的放送量の中で、なお24%の人が、「皇室に親しみを持っていません。」という数字は驚異的だと思います。
 ところで為政者は、なぜ憲法20条に抵触する恐れも顧みずに、大嘗祭などの皇室神道儀式を強行したのでしょうか。
 ころころ替わる防衛大臣の為に死ぬ。日の丸の為に死ぬ。通用しないでしょう。新たなる戦争において、神としての天皇。絶対的価値観として利用できる天皇の存在は大きいと思います。
 クリスマスと戦争に関しては、1914年に起こった、第一次世界大戦の「クリスマス休戦」の話が、奇跡と言われます。
 ドイツ軍とフランス・イギリス軍が、100メートルぐらい隔てた塹壕の中で、ドイツ軍に慰問に訪れた歌手のヴァルダー・キルヒホフによる「きよしこの夜」が戦場に響き渡って、と言われています。
 歌声に聞き覚えがあったフランス将校は、ドイツ軍の塹壕に向かって拍手を送り、フランス・イギリス軍戦線からの拍手を聞いたキルヒホフは、ドイツ軍の塹壕から飛び出してフランス・イギリス軍戦線に向かって歩き出し、その時「クリスマス休戦」が起こった逸話が伝えられています。
 しかし、現在は遠隔操作の戦争の時代です。
 見えない敵から、ミサイルが飛んでくる時代です。そしてミサイルの発射ボタンは、地球の裏側からも押すことが出来る時代です。それでも、戦争に兵士は不可欠ですしミサイル攻撃を受ける側には、一般市民を含んだ多くの死傷者がでます。
 朝日新聞2019年10月19日夕刊のコラム[素粒子]に鈴木英人という方が短文を投稿されています。
 『閣僚の靖国参拝で、思い出す川柳がある。〈この次も死んでくれよと奉る〉』
 たとえ少数者であっても約2000年前に、マリアに天使が臨んで告げた「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。」(ルカ2章 10節)の言葉に希望を見出だす2020年を、皆さんと共に迎えたいと思います。
                   (ずし みのる)