極私的平和論


 

堤 幸彬 キリスト友会東京月会会員

 

 『剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる』(マタイ26・52)
 この度の『戦争法案』反対の国民的な盛り上がりの中で、今まで平和の問題に無関心だった人びとが関心を寄せるようになってきました。残念ながらこの世紀の悪法は可決・施行されてしまいましたが、多くの国民がこの問題に目覚めたことは、この国の歴史上画期的であったと思います。これまで、あまりにも無自覚・無反省で有り続け、平和の意味を考えることがなかったからです。私自身も今回の反対運動を通じて、再度『平和』について考えてみました。
世間一般では軍事力が国を守ると考えています。国益の名のもとに戦争も正当化され、ときには賛美されています。武器を手放すことが恐ろしいのです。『やられたら、やり返せ!』ならば、まだ正当防衛とも言えますが、実際には『やられる前に、叩きのめせ!』が常識になっています。彼らには『愛が平和の原理である』ことが理解できません。それだからこそ、宗教者がこの問題に正面から向き合う必要があるのです。その中でも、『愛の宗教』をもって自ら任じるキリスト者が率先しなければなりません。そうでなければ人類は破滅に向かうだけなのです。しかし、キリスト教会の現状は極めて悲観的です。十字軍気取りの右傾化した原理主義者が増殖しています。
 旧社会党時代、『非武装・中立論』というアイデアがありました。完全に武装蜂起し、外交的には中立を保つという考え方です。非現実的な理想論という批判にさらされ、また社会党の非力もあってあまりまともに取りざたされませんでした。が、私にはこの考えこそ『神の法』、つまり『愛の原理』にほかならないと思います。ただ、軍備を廃し中立宣言するだけではダメです。自衛隊を改組して、国際的な援助活動を行うことが大切です。防衛費を全額、援助活動に振り替えて世界に貢献すれば、そのような国を一体どこの国が侵略できるでしょうか? そんなことをすれば、その国は世界の中で間違いなく孤立します。それがこの宇宙の法則だと信じています。『天網恢恢、疎にして漏らさず』の言葉通り、そのような国は自滅の道を行くことでしょう。私にはそう確信できるのですが、皆様はいかがお考えでしょうか。『友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない』(ヨハネ15・13)


           (つつみ ひであき)