「いま、大切なことは」

石井 摩耶子   (公財)日本YWCA代表理事


 1945年8月15日、6歳の私は疎開先で敗戦の詔勅を聴いた。「勝つために」我慢させられ、疎開先では苛められ、そこでもまた子どもながらに戦争の理不尽さを痛いほど感じていた私は、戦争が終わってどんなに嬉しかったことか。この経験はその後の私の人生を決定した。しかし、70年後の今、安倍政権の暴走により日本は再び戦争をする国になりかねない重大な岐路に立たされている。大学教員になってからも、その時々の右傾化の動きに少しは抵抗してきた。しかし、新憲法に謳われた基本的人権・恒久平和・主権在民などの価値を当然のことと思うだけで、それを得るためには人類の長い苦闘の歴史があり、それを日本で実現するには普段の努力が必要なことを見過ごしてきたツケが、いま回ってきたのだ。
 安倍政権が国会で数の力によって安全保障関連法案を強引に通すか否かにかかわらず、日本社会の根底に潜む問題性は変わらない。
 第一に、日本は敗戦・占領・国際社会への復帰の過程で、いつもアメリカの世界戦略に従属してきたことだ。沖縄の命運が明示するその事実を、ヤマトンチュの私たちは無視してきた。日本は独立国とは言えないほどアメリカに従属し切っている現実を直視しよう。そこからの脱出、日本の「出エジプト」のために、日米安保体制を無意味なものにした上で廃棄し、アジアの隣人たちとの平和の絆を創っていきたい。
  第二に、戦前と戦後の連続性の克服という課題がある。敗戦時の日本の政治指導者や知識人、一般市民の多くが、国のために命を捧げる国民を作るための「教育勅語」の廃止には消極的だった。民主的な教育基本法を作った教育刷新委員会の委員たちの多くが「天皇に戦後の新教育方針を示す新しい勅語を出していただこう」と大真面目で議論していたのだ。日本人の精神構造の根底にある権威と権力への隷属の念、「お上」にはひたすら従うべきだとの思いは、その後もずっと通奏低音のように日本人の心に流れてきた。国家権力の最高責任者であった天皇の戦争責任を問いつめることが出来なかったことも、私たちの問題とし引き受けていかなくてはならない。
 いま、キリスト者である私たちの責任は重大だ。神の被造物としての人間に上下はなく、一人ひとりの個性を十全に発揮して平和に生きる権利は、いかなる権力者も奪うことはできない。その事を若い世代にしっかりと伝えていくことが、私たちの使命だと思う。
              (いしい まやこ)