<歴史を担う主体>としての対話の形成を 

武田利邦  日本クリスチャンアカデミー関東活動センター運営委員

 クリスチャンアカデミーは、ドイツの教会が、第二次世界大戦に至るナチズムを阻止できなかったことへの反省から生まれたといいます。教会と社会の間に「対話」が足りなかったというのが「反省」の内容です。ドイツの教会は「告白教会」を中心にバルメン宣言を出して、ナチスに抵抗する姿勢を示したが教会全体の力にはならなかったうらみがあります。
それでも戦後、その問題を反省し、複数の具体的なプログラムを立ち上げました。とりわけ「平和」問題の研究システムのなかで、核武装の否定という方針を出し、さらに最近では、州の教会が、ナチス支持の社会的心理的構造である「権威主義的パーソナリティ」(ホルクハイマーや、アドルノによって指摘された)の形成に教会は責任があるという「罪責告白」を出しました。
 アカデミーの対話運動はそうした、自らの責任を賭し、歴史の主体としての姿勢の一環としてとらえることができるのではないでしょうか。
1000年以上の歴史を持ち、大きな社会的影響力を持っているドイツの教会と、日本の教会をただちに同一レベルで比較はできませんが、日本の教会の「戦責告白」のその後はどうなっているでしょう。
 関東活動センターのプログラムは、「宗教対話」で仏教や、イスラム教などとの対話を重ねてきました。「今日的課題プログラム」では12月に柏木義円をめぐるシンポジウムを企画しています。
 今年度の新たな企画では「古典で読む20世紀」で、M.ヴェーバー、K.マルクス、について既に行い、今月にはニーチェ、1月には、キルケゴールを取り上げます。また『大人の心に響く絵本』を同様に、二月に一度のペースで行っています。
 聖書の連続講座では、山口里子さんによる、『マルタとマリア』をテーマとした毎月一回のペースでの聖書講座を昨年以来続けており、これはとても好評です。
 ここ3年ほど全国の主な神学校の学生を集めて毎年3月に、「全国神学生交流セミナー」を開催しており、神学生の交流と研さんのプログラムをもっています。これらプログラムの詳細は、HPなどでご覧ください。
 日本の社会全体が、戦争責任どころか、皇国史観に戻ろうという動きの強まる中で、アカデミーの活動はそれ自身が、日本の教会への問いかけであり、伝道活動の今日的形態であると考えます。「教会」の方にそのような「戦責告白」の「実際化」の動きは見られるのでしょうか。新たな戦前といわれる時代だからこそ「対話」のもつ力が回復され、主体をかけた、歴史への自覚が求められているのではないでしょうか。
                              (たけだ としくに)