全国集会を終えて  「安全」のまどろみに陥らないように


鈴木伶子(すずき れいこ)/平和を実現するキリスト者ネット事務局代表


 全国集会を終わり、元気を与えられた面と、恐ろしさを感じた面があります。
 なんと言っても、さまざまな課題に取り組んでいる全国の信仰の仲間に会い、話し合えたことは大きな励ましでした。この頃めっきり口にされることが減っている「天皇制」に正面から向き合っている人たち、岩国・沖縄に代表される基地の足元で、監視されながら活動している人、心の領域にまで踏み込んで人間の尊厳を失わせる教育の問題に、ひるまず取り組んでいる人たち。それぞれの現場では、ここまで進んでいるかと驚くほどの、人権侵害があり軍国化が進んでいました。そしてそれらの問題に敢然と取り組んでいる人たちの証言は、私たちに活を入れました。
 反面、何の心配もないよと私たちをまどろみに誘い込み、流れに身をゆだねさせる力の怖さを感じました。それが明らかに見えたのが、福島の原町教会の朴先生のお話しでした。まだ、除染も進まない原町で、「この地域は安全だから戻ってこい」「食料の汚染は怖くない」という目に見えない安全ムードが強く、放射能の危険を感じている人たちは、自分や子どもの身を守りたくても、願うように生きる自由を奪われているというのです。
 「安全」という言葉は、今の社会が持つ危険を覆い隠すための言葉かもしれません。長い間、原発は安全だと言われていました。周辺国との関係を悪化させ、一触即発の事態であるにもかかわらず、日本の人は驚くほど呑気です。それは、米国が守ってくれると信じさせられているからです。肝心の米国は、日本が周辺国と事を荒立てることに対し、不快感を示し、「失望した」とさえ言っているのです。
 その極みが「国家安全保障基本法案」です。その名も安全と言う名を持つこの法案は、集団的自衛権、つまり米国が戦争をするとき、日本は駆けつけて一緒に戦うし、日本国民はその義務を負うという内容の法案です。その環境づくりも着々と進んでいます。教育制度を改革して、国が関与できるようにしています。特定秘密保護法は政府に反対する人を縛り上げることも可能にしました。福島のことを早くも忘れて再稼働をめざしています。
 後の時代に、なぜあの時、あれほどの状況だったのに気付かなかったのかと批判されることは明らかです。それにもかかわらず、景気さえよくなればよいと考え、オリンピックに湧き、何事もないかのように過ごしています。
 アジア・太平洋戦争にキリスト教界がきちんと反対できずに加担していったのも、教会や信者の「安全」のためでした。神と隣人に対して、その罪を告白した私たちは、同じ罪を犯すことはできません。
 そのためにも、安全の眠りをむさぼることのないよう、目を覚ましてしっかり立ち、見張りの役を務めましょう。すでに闘っている人たちを孤立させないためにも。

(すずき れいこ)






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